2017年10月16日

チャック・ベリーのこと



今年の3月18日にチャック・ベリーが死んだ。
居て当たり前、という存在だった。死んだというニュースを聞いたとき悲しい感じはしなかった。〈死んだ〉という客観性と〈いつも居る〉という主観性の中間地帯で恍惚とする感覚だったな。

チャック・ベリーのライブは一回だけ行ったことがある。1997年3月の赤坂BLITZ。おっちゃんばかり来ているのかと思ったら、二十歳前後のギャルもそこそこ来ていて意外だった。もちろん、むかし原宿のホコ天でローラー族とかやってたんじゃね?っていう不良中年もいた。リーゼントに革ジャン姿のね。俺もあと一回りはやく生まれていたらその中に混じっていたかもしれない。

彼のライブでは「キミとキミと、あとはキミ」みたいな感じで任意に女の子が選ばれ、ステージに上げさせてもらえることがよくある。赤坂BLITZでも、90年代ファッションに身を包んだギャルたちが彼から選ばれ、曲に合わせてステージで踊りまくっていた。あの光景は不思議だったなあ。チャックの激しいビートでタイムクラッシュが起き、50年代後半のアメリカのロック会場に今どきの日本のギャルたちが突如現れちまったような。

でも、チャック・ベリーって、日本ではビートルズやストーンズと違い、けっしてポピュラーな存在ではない。むしろ「ジョニー・B・グッド」「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」といった彼のヒットナンバーのほうが有名だ。ロックのスタンダードになっているからね。でも、彼だけじゃない。エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、ジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリー、エディ・コクランといったフィフティーズが総じてそうだと思うよ。エルヴィスですら、もし話題にあがるとしたら、世界で初めて衛星生中継された1973年の「アロハ・フロム・ハワイ」の思い出くらい。それならまだいいんだけど、あとはドーナッツをどうしたこうしたっていうしょーもねえ話ばっかでしょ。

ロックの歴史が語られるばあい、日本ではたいてい60年代半ばから始まって、1955年〜1963年はロック前史という扱いだと認識している。ビートルズからを「ロック」、それ以前は「ロックンロール」というぐあいに、自分なりの史観にもとづいて言葉の使い分けをするなら分かるんだけど、なんだろう、ビートルズ以前は「オールディーズ」で纏める習いになっちまってる。オールディーズの中でも、特にビートルズやストーンズのルーツにあたるものを「ロックンロール」と呼んでおこうか、みたいな。

十代のころからこれが不思議でならなかった。学生時代に考えたことがあるんだけど、これってひとつは、エルヴィス・プレスリーが人気絶頂だった昭和30年代前半に来日しなかったことが原因かもね。あともうひとつは、ジャパニーズ・ロックを創っていった世代が主にビートルズやボブ・ディラン、ストーンズから影響を受けていて、チャック・ベリーはビートルズとかを通じて初めて聴いた、といった事情もあるんじゃないかな。もちろん、原因はもっといろいろだろうし、ロックンロールは所詮アメリカの文化なわけだから、しゃーないと言えばしゃーないんだけどさ。イギリスだって最初はアメリカからロックンロールを輸入したわけで、クリフ・リチャードやヴィンス・テイラーの位置づけで似たような問題があるかもしれない。イギリスのロック史観は何も知らないけど。

ちょっと愚痴っぽくなった。
要は、チャック・ベリーが大好きなんだよ、俺は。彼の書いた『チャック・ベリー(自伝)』(中江昌彦 訳・音楽之友社)を読むと感じるのだけど、小難しいことは抜きにして、ただただチャックベリーを楽しんでもらいたい、そういう姿勢を確かに彼はもっている。俺がフィフティーズの音楽を好むのも、あの時代のパフォーマーとオーディエンスにそれを感じるからだ。有名なダックウォークもそういう姿勢から生れたんだろうね。

 ゴムボールと追っかけっこをしたのは楽しい思い出だ。ある時、俺は、テーブルの下で弾んでいるボールをつかもうと躍起になっていた。家に客が来ている時に騒ぐと普段なら必ず怒られたものなのだが、この時は俺がボールを捕まえようとする仕ぐさが余程面白かったらしく、お袋が入っていた聖歌隊のメンバーが大笑いを始めた。テーブルの下にすっぽりと入って、首を上に突き上げ、膝を折った姿勢でボールを追いかけて前に進む。このしゃがみ込みスタイルはお客さんがくると、よく家族にリクエストされるようになり、俺自身もこの芸をするのが楽しみになった。
 一つの芸の誕生というわけだ。
(『チャック・ベリー(自伝)』P25〜P26)





2017年10月08日

そういうじだいでしょ。:200字川柳小説  川合大祐

がっこうからかえると、おかあさんが熊になっていました。熊というかんじをかけるのは、おかあさんが熊になるたび、ホワイトボードに「きょうは熊です」とかいておくのでおぼえてしまいました。熊は「ふっふっふ。ふっふっふ」といきをして、いまをうろついているので、あぶなくてしかたありません。たまにかみついてきます。さんぽにつれだすと、こうえんでころげまわります。いいました。「おかあさん、あたし、砂場になるよ」。

  母熊を連れ鉄棒にぶつかるよ  暮田真名(今月のゲスト作品「モアレ現象とは」より)

posted by 川合大祐 at 06:04| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月02日

山下和代さん川柳の絵感想/柳本々々

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ダダダッとダダダダダッと脱皮せよ/山下和代

脱皮はゆるやかなイメージがあるが、山下さんの句では脱皮はダが連打され力強いものになっている。いままでの脱皮からの脱出のようなあたらしい脱皮のイメージだ。

しかし、「と」が合間合間に入ることにより、リズムもかたちづくっている。

ちからづよい、リズミカルな脱皮とは、どんなものになるだろう。

駆け抜けるような脱皮なのだが、しかしその駆け抜けるような脱皮を、いったい誰が目撃するのか。

わたしたちは、隙間から覗くようにしてしか、目撃できないのではないのか。

しかし、わたしは目撃してみたい。だとしたら、絵が川柳を目撃することもありうるのではないだろうか。






posted by 柳本々々 at 22:17| 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

モアレ現象とは   暮田真名


見せつけてティンカー・ベルの霜柱

歌謡曲から漣がもげてゆく

そろばんを囲んだ そんな夏はない

温い生き物を吐き出すATM

まばたきが偏西風が終わりです

まばゆくてあばら並びに倦んでいる

母熊を連れ鉄棒にぶつかるよ

バースデーケーキの汚れ自由形



【ゲスト・暮田真名・プロフィール】
1997年生まれ。早稲田短歌会、早稲田俳句研究会所属。



縦書き画像をご覧になるばあいは以下をクリックしてください
モアレ現象とは.gif

posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 今月の作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月27日

巨大蟻から逃げる地下道  島 一木


巨大蟻から逃げる地下道  島 一木

『十四字詩作品集U』(川柳雑誌「風」発行所 編・新葉館出版)の島一木(しま・いちぼく)「そよかぜ」より。

川柳には定型が二つある。ひとつは、おなじみの五七五。そしてもうひとつは七七。
七七のほうは「十四字詩」とか「短句」などと呼ばれ、既成の五七五川柳とは別分野のように扱われることもあるのだけど、べつに十四字詩の協会があるとかそういうわけでもない。実際、十四字詩はおもに川柳人によってつくられている。まあ、むかしの前句附では、五七五のほかに七七を付けるばあいもあったのだが、いまでは七七がつけられることは殆どないといっていいだろう。だから、七七は川柳のもうひとつの定型として機能し、川柳分野に所属している。

ちなみに十四字詩は、あきらかに人手不足、若手不足だ。開拓精神がある若手は是非とも挑戦されたし。十四字詩については小池正博著『蕩尽の文芸──川柳と連句』(まろうど社)の第五章がわかりやすい。また、わたしも以前、十四字詩について記事を書いたので、興味をお持ちの方は以下も参考にしてください。

川柳雑誌「風」95号と瀧正治

掲出句。近年はマンガやアニメの「進撃の巨人」が話題になったり、あるいは映画「ジャックと天空の巨人」が2013年に公開されたり、あと、わたし個人の中では今ごろになってジャイアント馬場がブームだったりと、何かと巨人が取り上げられることがある。でも、ここでは巨大蟻ですよ。何だろう、動物の巨大なのって、わたしの中では1933年公開の映画「キングコング」とか、1965年公開の「フランケンシュタイン対地底怪獣」などに出てきた大ダコとか、1975年公開の「ジョーズ」とか・・・いやジョーズは違うな、とにかく、そういうむかしの特撮のイメージがある。

掲出句も特撮映画を観るような迫力があるのではないだろうか。「地下へ逃げ込む」ではなく「逃げる地下道」としたことで立場の逆転感が出ているし、「地下道」に逃げ込んだことで「巨大蟻」の大きさまで想定できる(「地下へ逃げ込む」ではいまいち蟻の大きさが想像できない)。まあしかし、蟻ってあんなにちいさいのに噛まれたりするとすごく痛いのだから、「巨大蟻」に噛まれたらヒトなんていう柔な生き物はたやすく切断されてしまうだろうな。

◇ ◇ ◇

ところで、このまえ発行された「川柳サイド」の第2号でわたしは、五七五や七七という川柳の既成定型以外にも挑戦してみた。三四、三三三、五七、七五五などのフォルムだ。それをしてみて自覚したことがある。それは、短くするのなら七七までで、それ以上短縮させたばあい非常なる苦労をしいられるということだ。三四だと、上三は二音の語+助詞ということになる。これだと二音の言葉を探すことで労力の殆どをつかってしまい、しかもその労力のわりに納得のいく作品ができないのだった。
けれども、その経験を経たことで、五七五・七七という定型がなぜ伝統になったのかが自覚できた気はする。

伝統や慣習などというと、戦後はブーワードとして用いられてきた面がある。わたしはソ連邦が崩壊し、戦後思想の夢が壊れたあとに学生になったこともあり、伝統というものに必ずしも悪いイメージはなかった。それどころか、いったい自分は何者だろうという、学生らしい実存的問題も芽生えてきたものだから、伝統なるものを探ってみたいと思うようになった。
そこで、戦後思潮に大きな変化が生じて解禁された感のあるエドマンド・バークの思想とか、それ以外にもトマス・エリオット、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、フリードリヒ・ハイエクなんかを読んでは、伝統について考える日々をおくった。で、それらの思想にふれての結論をいうと、伝統とは最初から保持されているものではなく、〈再帰的〉にたち現われるものだということだった。〈再帰的〉にたち現れ、自分の生を成り立たせている過去の人びとの営みの総体を示唆してくれる感覚である。一例をあげると、いまこうして〈自由〉に思考することができるのは、自分に先行する言語があるから──わけても連綿と更新されてきた日本語があるからだと気づくようなことである。

今回も川柳の定型──五七五と七七以外のフォルムに挑戦することで、わたしの中でそれらが〈再帰的〉にたち現れたしだいである。


posted by 飯島章友 at 23:00| Comment(0) | 飯島章友・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする