2017年12月23日

足長の三里手長が据へてやり  葛飾北斎

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足長の三里手長が据へてやり  葛飾北斎


『誹風柳多留』85篇より。
ご存じの方も多いと思いますが、葛飾北斎には川柳家としての顔がありました。号は卍。江戸時代の川柳秀句集『誹風柳多留』では、84篇から125篇のあいだに北斎の川柳が182句採られています。

掲出句、「足長手長」というのは妖怪のなまえ。こういう二匹の妖怪がいるのです。「足長」の脚の長さは3丈(約9メートル)、「手長」の腕の長さは2丈(約6メートル)もあり、体格に比して脚や腕がとても長い。ちょうど、脚や腕を伸ばしたときの「怪物くん」(藤子不二雄A 著)のような感じですね。この妖怪、活動するときはいつも「足長」が「手長」を背負っています。二匹で一匹というわけですな。この「足長手長」の灸治の場面は、北斎によって漫画でも描かれています(画像参照)。

「三里」というのは北斗神拳でいう経絡秘孔……あ、いえいえ、お灸を据える経穴(ツボ)のひとつです。膝頭の下約6センチ、脛骨の外側のあたりです。「三里の灸」という言葉もあるくらい、お灸の中でも代表的な経穴だそうです。

足長くんは脚が極端に長いものですから、自分でお灸を据えたくても三里まで手が届かない。そこでパートナーの手長くんが据えてあげるわけです。麗しい句ではありませんか。

 ◇ ◇ ◇

谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』の中で、むかしの日本にあった陰翳の情緒が失われてしまったことを嘆いています。たしかに近代は明るくなりすぎ、妖怪も居場所をなくしてしまった感があります。短詩型文学も近代以降は、〈私〉や〈自然〉や〈社会〉ばかりが題材になって、妖怪の出番はなくなってしまいました。しかし、何が本当で何か虚偽なのか、人びとが確固たる信念をもてなくなった昨今、むかしの日本とはまた違うありかたで妖怪の棲息する闇が生じている気がします。今後どのような妖怪川柳が詠まれていくのでしょうね。

最後はこの季節にふさわしい江戸時代の妖怪狂歌を一首。

硝子ビードロをさかさに登る雪女 軒のつらゝに冷やす生肝いきぎも  和風亭国吉

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2017年12月13日

目を見てて目だけ残して消えますよ  東 李桃


 目を見てて目だけ残して消えますよ  東 李桃

「恒信風」第五号より。

わたしが川柳を作句しはじめた2009年当時、(ああ、こういう川柳を書きたいなあ……)と感じていた川柳人が幾人かいる。たとえば石部明さん。たとえば清水かおりさん。たとえば畑美樹さん。でも、川柳人以外にも参考にした書き手がいる。それが俳句同人集団「恒信風」で活躍されていた東李桃さんだ。

初見で、これは俳句なのか!? と驚いた。と同時にこういう川柳を作ってみたいという気持ちがわいてきた。このたわむれ感。この幻術感。そして、そこはかとなく対象への愛情が感じられる言葉遣い。この句から受けるそれらの印象が、当時のわたしにとっては川柳っぽさにつながっていった。

 引つかかつた時のかたちに乾く布

こちらも李桃さんの作品だが、こうなるといっそう川柳っぽい趣がある。内容や句意は違うけど「キリストのかたちで鮭が干しあがる」(菅原孝之助)という、ちょっと似た言い回しの川柳を憶えていたからかも知れない。

李桃さんが同誌に登場したのはこの第五号からのようで、まだ俳句に慣れていない感じがする。しかし、それが川柳を作句しはじめたころのわたしにとって、親しみやすさにつながったのだろう。おなじ五号には以下のような句もある。川柳をはじめたころが懐かしい。

組み伏してしまふ仏の顔をして   東 李桃
けんかごしの会話はじまる入道雲
くちびるの砂糖をどうぞかぶと虫
ゆびさきに火薬の匂ひ良い夢を
ラマの目の青年白い菊はこぶ



『恒信風』

2017年12月01日

部活で抱かれる   山下一路


バレー部の剥がされた爪キティちゃん

跳び箱に乳房をぶつけ薔薇になる

熱伝導少女を夜に走らせる

体育会系筋肉のみ疼く

徒競走七分の一が貧困

痛風の指を庇って酢昆布

先輩の酸っぱい汗で羽になる

吊り輪から降臨をする青レタス



【ゲスト・山下一路(やました・いちろ)・プロフィール】
1950年東京生まれ。2006年より歌人集団「かばんの会」に所属している。
本年(2017年)第二歌集『スーパーアメフラシ』を青磁社より上梓。



縦書き画像をご覧になるばあいは以下をクリックしてください
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posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 今月の作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

【11月のゲスト作品】矮星 くんじろう を、読んだ。

くんじろうさんの句は、私性をすっかりくるんでこしらえられている。
わかりやすいことばなのに、そこに置かれると新鮮だったり、クスリとさせられたり、ちょっとメルヘンだったりかっこよかったり、ほどよい感じに引き算されて(膨大なことばのイメージが隠れている気がする)、こんなんできましたけど、と、にこにこさしだされている感じがするのだ。ぜんぜんたかびしゃでなくて、ウエルカムな匂い。いい意味での韜晦。

猥談も確かにあった古墳群
 古墳時代のひとびとが猥談をしていたという意味だと、やんごとなきひとイコール権威を茶化していることになるのだろうか。
 古墳たちがいきづいていて現代に会話をしている、と読むほうが好み。

フレアから阿闍梨も猫も帰るころ
 太陽フレアだろうか。
 ゆらめく炎が僧のかたちにも猫にもなりどこかへ帰っていく。どこへ?
 存在が太陽にすいこまれて、フレアになって戻ってくる。
 そうかぁ、帰るころなんだ、とすんなり読んだのち、「ころ」って何?と思う。
 フレアがひろがるように、ふわっと曖昧な感じ。こういう軽い感じも連作のなかの一句として効いていると思う。

ベランダに干す彗星の尾の部分
 これはずいぶんかわいらしい。
 彗星の尾はしっとり濡れていたのだろう。
 光るのか。
 そして尾以外はいずこへ。
 ベランダのむこうの部屋をのぞいてみたくなる。尾を脱いだ彗星が、部屋の主とくつろいでいるのかもしれない。

錆止めと馬の歯型を星座図に
 空に置くのではなく、星座図に置くという。
 蹄鉄なら絵になりそうだが、馬の歯型を。それにしても錆止めはどんなかたちなのか。かたちとして配置されるものではなく、星座たちを治療するものなのかもしれない。
 星座の数は88だとか。夜空は88に区画整理されている。その均衡を崩すのか、保つのか。星座図へ試みられる謎のたくらみ。

矮星に空海らしき墨衣
 サン・デクジュペリが描いた本の表紙が頭に浮かんだ。
 星の王子さまはちいさな星の上に立っていた。星の輝き色の頭髪をもつ王子はペールグリーンのパンタロンスタイルのつなぎを着て、ぼんやりと考えごとをしている(もしくはただぼんやりしている)
 王子はときに星の肩章つきの青いコートをはおり、サーベルを握りしゃちほこばる。
 「矮星の墨衣」は星の王子さまの青いコートを思い出させる。
 ちいさな星に墨衣だけがある。黒は一般的には格式のある色だが、法衣においては普段着のものだ。墨衣を残して、別の時空に行ったらしいヒトがいる。空海だったかもしれない。

猥談・古墳群・阿闍梨・彗星・星座図・矮星・空海・墨衣・・諸行無常
 漢字が目に楽しい。



posted by 江口ちかる at 23:29| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

んなあほな:200字川柳小説  川合大祐

んた、この世をどう思う。初の数秒、チャンネルを合わせ損ねた必殺仕業人に問われた。の世と言われても、この千年ほどアパートの外に出ていないからよくわからない。は良かった。も鰯缶も共通していた。であったからである。と呼ばれることもあったが、そもそも乱気流の彼方のチョコレートパイの躍り食いの別称なのでいたしかたがないと言うこともできるだろう。を言っているのか明快すぎて解らないが、祇園精舎にアラン・ドロン。

  ん行から諸行無常のチョコレート  くんじろう(11月のゲスト作品「矮星」より)

posted by 川合大祐 at 20:53| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする