2017年08月27日

究極対至高:200字川柳小説  川合大祐

「何を食べたかじゃない。何を食べるのかが大切なんだ」と歯車式原子炉搭載の熱血教師が言うので、テーズ式留年中年の私型惰弱人間第28号もその気になった。気になったのものの、どうしたら良いのかがわからない。とりあえず「食べる」というのがどういう行為なのか調べてみることにした。調べてみるとなかなか奥が深い。走りながら、鳴きながら、世界を滅ぼしながら食べる。特に、夕御飯を食べながら食べるのが気に入って、秋。

  諏訪湖とは昨日の夕御飯である  石部明(『セレクション柳人3 石部明集』より)

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2017年08月20日

赤光メロンパン:200字川柳小説  川合大祐

町を歩く。雨の日はゴミ捨て場を覗きたくなる。昨日は雨だった。今日の空がどうなるかわからないから、積み上げられた古雑誌の束を引き抜く。アンドレ・ザ・ジャイアントの死亡証明書の長さ。暗い時代の人々のテント劇団。成立しないHAL9000と山本有三のコント。源氏物語が圧縮されたフライデー。旗本退屈男の去勢。だらしなかった宮本武蔵へお中元を贈るルーク・スカイウォーカー。たぶん明日は雨になって夏の町が終わる。

  きにすうのいにちぎおりわぢぐうわどせ  Sin(「月刊おかじょうき」2017年7月号より)

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2017年08月19日

「川柳文学コロキュウム」No.77と赤松ますみA

ずっと短歌だけを読み・書きしていたわたしが川柳も作句してみようと思い立ったのは、今から8年ほど前。その当時、現代川柳を包括的に知るために4、5冊のアンソロジーを手に入れた。そのなかには田口麦彦編著『現代川柳鑑賞事典』『現代女流川柳鑑賞事典』(ともに三省堂)があって、川柳コロキュウム代表の赤松ますみさんはその両方で取り上げられていた。いま、その赤松さんのページを開いてみると、当時のわたしが付けた目印が残されている。それは次のような句だ。

うす暗い廊下で過去と擦れ違う  赤松ますみ
憎しみの形に割れた壜の口
寂しい と言って途切れるオルゴール
眼鏡ケースの中で腐っていくメガネ
薔薇園の薔薇 世の中の敵の数
惡人を合わせ鏡で確かめる
満月のどこかで水が漏れている
わたくしを守る角度に開く傘
ややこしい地図に出ている現在地
頬杖をついては砂を湿らせる


当時のわたしは「数年後の俺がこの目印を見たら、ぜったい感慨にひたっちまうんだろうな、へへ」と思っていたのだが、今まんまと過去のじぶんの思う壺にはまっている。いまごろ当時のわたしは、してやったりという顔をしていることだろう。
これだけ目印をつけたということは、短歌脳がほぼ10割だった当時のわたしにとって、赤松さんの川柳が親しみやすかったということだ。では、なぜわたしは赤松さんの川柳にすっと入っていけたのだろうか。

川柳という文芸を概観したわたしが最初に感じたこと。それは、川柳とは➀〈五七五の定型散文〉であり、➁〈社会の価値観を再確認する文芸〉だということだった。

どういうことかというと、➀は文としてなるべく飛躍や屈折がない書き方をしているということ、➁は〈貧しさ=清い〉〈平凡=しあわせ〉〈こども=純真〉〈電話の声=1オクターブ高い〉といった社会の定式を改めて五七五におさめ、確認しているということ。
➀については、誹諧でいう平句がルーツであることとも関係しているのだろう。ただ、くびれのない寸胴な文でも着眼点しだいでは読み手を十分ハッと思わせることができるので、これはさして気にならなかった。わたしが短歌との違いを痛烈に感じたのは➁のほうだった。こころみに➁であげた例を、わたしが川柳に仮構してみるとこんな感じ。

 正直に生きて財布がふくらまぬ
 しあわせは平凡だから見えません
 敬老に孫から貰う青い空
 もしもしと1オクターブ高い声

もちろんこういう内容だって書き方しだいでハッと思わせることができる。内容に優劣はない。ただ、これだけ日常世界と地続きな内容が手を替え品を替え量産されているとすれば、自分がコミットしてきた短歌とはまったく異質な文芸といわなくてはならず、そうとうなカルチャーショックを受けたのだ。わたしの認識していた現代短歌は、日常の正価値から一歩、いや半歩でもズレた内容が好まれる文芸だったから。

しかし、そんな短歌脳のわたしがすんなり入っていける書き手が『現代川柳鑑賞事典』『現代女流川柳鑑賞事典』には収録されていた。とくに女の方たちの川柳には、フレームからちょっと外れた内容のものもあって楽しく読めた。その一人が赤松ますみさんである。

たとえば「眼鏡ケースの中で腐っていくメガネ」という句。本来「眼鏡ケース」はメガネを休めるいれもの。でも、ここでは日常的な価値観が転倒され、〈眼鏡ケースでメガネが腐る〉という。それでいて、けっして読み手を突き放した内容・表現というわけではなく、たとえば一つの読み方として「メガネ」を人間に置きかえたとき、家庭が安息の場にならない現代人の様相が立ちあがってくる。
「満月のどこかで水が漏れている」という句も、日常的な常識からズレているようではあるけど、さきほどと同様に人間に置きかえてみれば、円満な家庭にほころびが生じている様相として読むこともできる。

また「頬杖をついては砂を湿らせる」という句の体感性も、短歌とおなじ要領で読めた。時代がくだるほど体感性にもとづく歌は減っている気もするけど、従来の短歌は体感性を詠み込むことがとても多い文芸だった。

抱くとき髪に湿りののこりいて美しかりし野の雨を言う  岡井隆『斉唱』

コインの表裏としてある日常と非日常。そして体感性。こうした赤松作品の特徴に仲介されて、わたしは川柳にアプローチできた面がある。
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「川柳文学コロキュウム」No.77と赤松ますみ@

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「川柳文学コロキュウム」No.77
編集・発行人 赤松ますみ

大阪の「川柳文学コロキュウム」は平成15(2003)年6月に設立された。来年で創立15周年となり、全国誌上川柳大会が行われるとのこと。代表は赤松ますみさん。
作品欄のほか、外部執筆者と赤松さんによる鑑賞欄、句会報、エッセイ、『武玉川』鑑賞、受賞報告、新刊紹介、お便り、全国の川柳大会告知などなど、とても充実した誌面になっている。

【カレイドスコープ】(会員自由吟自選)
曹達水 クスクス朝の生まれるところ  笹田かなえ
「もしももしも」とさざ波になりました  桂 晶月
えっという声が聞こえた試着室  毛利由美

【フィッシュアイ】(自由吟 赤松ますみ選)
珈琲は濃くって漢字読めなくて  斉尾くにこ
そうですよトイレは秘密基地ですよ  高瀬霜石
たしなみとして火曜日は置いていく  月波与生

【第166回句会】
真ん中に秘密結社があるキャベツ  桂 晶月(宿題「キャベツ」)
ムーミンの腰のあたりで午睡する  田口和代(宿題「ほんわか」)
呼び鈴を鳴らし続けている四月  嶋澤喜八郎(宿題「自由吟」)

【第167回句会】
こっそりとエステサロンへ行くメロン  赤松ますみ(席題「メロン」)

【第168回句会】
口では負けるけど尻尾では勝つわ  岡谷 樹(席題「尻尾」〉
お黙りと斜めに雨が降ってきた  新保芳明(宿題「自由吟」)

最後の「お黙り〜」の句が大好きだ。作者の意図は分からないので、もしかしたらシリアスな心情が詠まれているのかも知れないけど、平明にして面白い。
「お黙り」という言い方は、加賀まりこや美川憲一を思い出す。反論をピシャッと遮断してしまう言葉遣いではあるのだけど、二人が築きあげてきたキャラクターや絶妙な言い方が〈ご愛嬌〉を感じさせるのだ(ちなみに二人が主演の「おだまりコンビシリーズ」という2時間サスペンスもあった〉。
この句でも「斜めに雨が降ってきた」だけなら天から罰や説教を受けている雰囲気が出てしまうけど、「お黙り」という姐御的・オネエ的なご愛嬌を呼び起こす言葉によって深刻さは脱臼させられている。
また「お黙りの〜」別案として、「うるさいと〜」「お静かにと〜」「じゃかあしいと〜」「シャラップと〜」などが考えられるが、音数的にこなれていなかったり品がなかったり。ここはやはり「お黙り」だろう。

川柳文学コロキュウム

(つづく)

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2017年08月07日

いなだ豆乃助

いなだ・まめのすけ

2012年 短歌結社「短歌人会」入会
2014年 柳誌「川柳カード」入会
2016年 川柳結社「ふらすこてん」入会

この度、途中から参加させていただくことになりました。
川柳を始めたのは2014年10月からです。
右も左もわからないことだらけですが、
どうぞよろしくお願いします。
posted by いなだ豆乃助 at 16:37| Comment(0) | 執筆者プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする