2017年03月06日

口の快楽から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第4話「殺しのファックス」(犯罪者:幡随院大【小説家】=笑福亭鶴瓶)

安福 殺人ってかなり重大なことじゃないですか。でも殺人をしてしまったひとは、それをこえた重大な、だいじなことがあったんですよね。人をころすよりも。執着してしまうことが。第2話の堺正章なんかは殺人より舞台がずっとだいじだったんだなあとおもった。だいじなものの順序ってひとによって違うし、瞬間瞬間でかわるんだなあって。

柳本 ほんとそうですね。だいじなものをめぐる物語かもしれませんね、古畑任三郎って。

安福 なんかかっとなって殺すときもその瞬間は人を殺してしまうよりだいじになったものがあるんでしょうね。古畑は、それがわかんなくて、犯人にききまわってるかんじですね。

柳本 骨董商の春峯堂のご主人の回なんかまさにそうですよね。タイトルも「動機の鑑定」だったし。動機が鑑定される。動機は犯人にとっていつも逸品なんですよ。あとで偽物だったって気づく場合もあるけれど。
動機って本人自身にも実はわからなかったりする場合もありますからね。言葉もそうですよね。意識とか言葉ってシステムになってるから。
第四話は犯罪者が小説家の回だから言葉の回ですよね。脅迫文が鍵になる回ですけど、言葉の配列が小説家でしかありえないような配列ってのがヒントになるわけですよね。たとえば歌人が犯罪者だったらなぜか五音七音ばかりで脅迫文を送ってくるから、あれ、このひと歌人なんじゃないの、とか。
古畑任三郎って、言葉が言葉に言及していくドラマだっていうふうにもいえるとおもうんですよ。物理学とか合理性とかではなくて、いかにひとが無意識に言葉のシステムにささえられていて、そこからあしもとをすくわれることもあるかっていうドラマだとおもうんですよね。
小説家は言葉にあしもとをすくわれてしまう、言葉を大事にしていたから。冒頭に話した〈大事〉の話ですよね。
あとなんかこの回で今までなかったのが、誘拐事件なので蟹丸警部たちの警察組織がやってくるんですけど、それによって古畑と組織との関係が明示されるんですよね。それで古畑は徹底的に疎外されてますよね。
古畑って疎外されてるひとなんですよ。で、じつはこの古畑の立場にもうひとり似ているひとがいて、それって殺人者ですよね。
殺人をおかすと、疎外されるわけですよ、もうふつうのひとじゃないから、意識のうえで、やっぱりひとをころしたひとところしてないひとの境界線っておおきいから。それってドストエフスキーの『罪と罰』を読むとよくわかりますよね。あの小説のキーワードって〈踏み越える〉なんですけど、主人公のラスコーリニコフはじぶんが偉いからひとなんて殺したってどうってことないって思うんだけど、ところが殺したあとにどんどん自分自身の意識から追いつめられていくんですよ。それはやっぱり自分が殺しちゃった人間になった、〈踏み越えてしまった〉っていう意識だとおもう。そういえばそのラスコーリニコフを古畑みたいにねちねち追いつめるのがポルフィーリーって予審判事なんだけど、刑事コロンボは彼をモデルにしてつくられてるんですよ。だから古畑の原型は、ポルフィーリーです。
で、話がそれちゃったけど、〈踏み越えたひと〉として犯罪者たちって孤独だとおもうんですよ。でもそれは古畑もおなじで孤独なんですよね、組織から疎外されて排除されてるから。

安福 あ、そうかあ、疎外されてる者同士なんですね。そうですね、殺人ってかなり線ひかれますもんね。

柳本 なんかそういう、孤独のひとどうしが犯罪をとおしてわかりあうやさしい風景が描かれているんじゃないかっておもうんですよ、「古畑任三郎」って。
だけどしんだひとも孤独ですよね。だから孤独の三角関係かな。ちょっと高橋留美子のマンガ『めぞん一刻』や夏目漱石の『こころ』みたいな三角形ですけどね。死者と生者がおりなす三角関係。

安福 あ、ほんとだ! 死体と犯人と古畑の三角関係ですね。

柳本 古畑にとって犯罪者たちとの出会いって、いちどきりなんですよね。であったらわかれなきゃいけないっていう。つかまえないといけないから。ちゃんとであえると、ちゃんとわかれることになる。

安福 ほんとですね。いちどきりですね。

柳本 であえるってことはそのひとがころしたんだってきづくことだから。もっともわかちあえたしゅんかんが別れになる。

安福 なるほど。会話の最終目的地は逮捕ですもんね。

柳本 だから別れにむかって、ふたりでくみたてていく。

安福 ほんとですね。

柳本 あ、そうだ。タイトルの「殺しのファックス」って、まさに言葉が凶器になるってことてすよね。

安福 あ、ほんとですね。

柳本 それは犯罪者自身にもむけられるってことだとおもう。

安福 言葉といえば、今回の犯罪者の幡随院が小説のタイトルは辞書でひらいたとこの単語つなげただけで意味ないって言ってたのが印象的だったんですよね。

柳本 ああ。だからある意味でことばをないがしろにしてんですよね。それで意外なことばの復讐にあうっていうか、ことばに返り討ちにされる。
 
安福 そういえば古畑さんが読んでる幡随院の小説の主人公の名前まちがってましたよね。鮫島(さめじま)刑事だと思って読んでるんだけど、実は鯨鳥(くじらとり)刑事なんですよね。

柳本 あれも、言葉が無意識に支配されてることのあらわれですよね。ひとって意外に言葉のシステムに支配されてる。

安福 あと、古畑さん、今回本読んで、出番が来るのずっと待ってるのがおもしろいですよね。出番待ってる姿が、普通に映ってる感じ。

柳本 ああ、そういうときはわりとむすっとしてるじゃないですか、余計なおしゃべりはしないというか。コロンボもそうなんですけど、犯罪者と会うと言葉のモードというかチャンネルを切り替えてるでしょ。それがよくわかりますよね。それってね、鮫島(さめじま)と鯨鳥(くじらとり)みたいに言葉には位相とかチャンネルがあるってことだとおもう。言葉のチャンネルをきりかえられる。古畑もコロンボも。だから犯人には饒舌にまくしたてて、組織とか蟹丸さんの前ではむすっとしてる。今泉の前でもそうですね。まあちょっとこどもみたいな態度をとる。言葉をそのつど調理していくっていう感じなのかな。

安福 この回で辛子明太子スパゲティ食べてますけどそれも印象的でした。

柳本 古畑任三郎では食っていうのも大事なテーマですよね。食へのこだわり。

安福 ほんとですね。

柳本 明石家さんまの回でもハンバーガーはピクルスをまんべんなくってコンビニ店員に怒ってましたよね。木の実ナナの回でも魚肉ソーセージは最高っていってたし。

安福 食のこだわりありますね。毎回なんかたべてますし。卵スープ、お茶漬け、ミートローフ茶碗蒸し焼きナス、パフェ、スパゲティ、あんかけ豚カツ。

柳本 口への注意だとおもうんですよ。

安福 えっ。

柳本 口唇欲動というか。それって、ことばと口への注意になってるとおもうんですよ。ことばと口のこだわりというか。

安福 ああ。

柳本 だから古畑って口唇期から肛門期への物語なんじゃないですかね。

安福 えっ。

柳本 肛門期ってすっきりすることでしょ、事件解決の。

安福 ああ、まえそういうこと柳本さん書いてましたね、フシギな短詩で。

柳本 いや、肛門の話はしたことないですよ。

安福 あれ、そうでしたっけ。

柳本 肛門の話はしたことないですね。肛門期っていったことないですよ。

安福 あらら。これ、東京タワーのまえにたつつるべ、なんかこわいですね。

柳本 この立ってるとこ、大学に近かったから、よく歩いてたんですよ、しにそうなかおで、いみもなく。

安福 えっそうなんだ。

柳本 大学にいて疲れると意味もなく歩いていつも東京タワーにいってたんですよ、投げやりな顔をして。

安福 えーいいですね。意味もなく東京タワー。

柳本 で、蝋人形館の前まで行って。泣きそうな顔で。そういえば蝋人形館って一度入ってみたいんですよね。入ったことがない。

安福 えっ、そのとき入ったんじゃないですか?

柳本 いや、目の前から入りたそうにみてただけですね。いれてくれないかとおもって。

安福 いれてくれないですよ笑
今回の古畑、なんかずーっと食べてますよね。

柳本 うーん、だから口唇欲動から肛門欲動への移行の物語なのかなあっておもうんですよね。ことばって肛門期がひつようなのかもしれないなと思うんです。オチとかってそうですよね。結句とか下の句もそうじゃないかな。
あと「古畑任三郎」っていっつも終わりへの気遣いがありますよね。今までもみてきましたけど。

安福 あ、そうですね。

柳本 それに逮捕されるって、よくあなたには黙秘権がっていうけど、口唇欲も肛門欲もふうじられることだとおもって。
口の快感と肛門の快感が古畑任三郎にはあるきがするんですよね。封じられてしまうまえの一歩手前が。

安福 でもそうですね。古畑任三郎って毎回オープニングとして、最初に、古畑しゃべるしね。スポットライトあてられながらひとり語りを。

柳本 ああそうだ。そうそう、だからこれね、このシリーズ全編にわたるオープニングのことを考えてみると、『古畑任三郎』って巨大な古畑任三郎の回想ともいえると思うんですよ。あのときの事件はー、って。

安福 ああ、そうですね。

柳本 おもいだしてるわけですよ。

安福 ああ。

柳本 このオープニングは古畑の脳内でね。だからこれ、古畑任三郎の死に際なんじゃないかとおもって。

安福 ああ、死に際の走馬灯なのか。

柳本 そうそう、あのスポットライトってちょっと宗教的じゃないですか。

安福 ああ、ほんとですね。

柳本 召される感じ。あのーえーっていいながら、召されてゆくかんじね。あのーえー召されますー、ってね。

安福 ……。

柳本 あとね、神がみてるばあいがあるとおもうんですよ。あのオープニングのしゃべりってとちゅうでとつぜんとぎれますよね。あれずっとフシギだとおもってたんですけどね。

安福 とぎれますね。

柳本 あれ、神がシャットダウンしてんじゃないかとおもって。

安福 ああ。

柳本 古畑の意志ではどうにもならないことがあるってことなんじゃないかとおもって。宇宙。

安福 宇宙?


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安福望:古畑任三郎「殺しのファックス」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「殺しのファックス」の回の絵


posted by 柳本々々 at 21:23| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月05日

音数律から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第3話「笑える死体」(犯罪者:笹山アリ【精神科医】=古手川祐子)

安福 この第3話は、料理苦手な犯人に料理させながら古畑さんがきくのがいじわるだよなあっておもいながらみてたんですよ。
古畑さんのコンタクトのしかたって、詰めてきますよね。近寄ってくるというか。古畑さんってやたら握手したりとか。あれきになりますけど。なんかあるんですかね。

柳本 うーん、相手を動揺させようとしてるんだと思いますよ。ふいうちのコンタクトで。

安福 一話目も二話目も握手してるなあっておもって。まあでも一話目は漫画家で、二話目は歌舞伎役者だからかなあ。なんか低くいるんですよね、古畑さんって。油断させようとしてるかんじ。

柳本 コロンボもそうなんですけど、犯罪者たちが基本的にみんな偉いひとたちに設定されていますよね。

安福 ああ、そうかあ。明石家さんまの回でも、「先生」ってよばれることからさんまを追いつめてましたよね。

柳本 えらいひとって、ふだんは動じないひとじゃないですか。だから、スタンドプレイというか、奇妙な行動に出て相手を動揺させていくとおもうんですよね。
第3話は、精神科医の古手川祐子ですけど、精神科医なんてまさに動じないひとじゃないですか。だからこの回で古畑はいちばん動揺させることをやってのけるというか、タイツかぶって煙草吸ったりしてますよね。古手川祐子は冷たい眼でみてたけど笑
これは田村正和がやってくれないかなあって三谷さんは思ったらしいんだけど、やってくれたそうですよ。
だからファーストシーズンって暗いんですけど、奇矯でもあると思うんですよね。変人というか。

安福 そうですね、変人。

柳本 この精神科医の話は、みえてるのに・みえないがポイントになるんですけど、ただ一話目も二話目もやっぱり、ふだんみえてなかったことにきづくはなしだとおもうんですよ。殺人をしてはじめてきづいたことがおおかった、って。犯罪者が、気づく。

安福 ああ、そうですね。

柳本 だから殺人は後悔してるけど、きづけたこともあった。殺人もきっかけですよね。なにかがわかる。そんなかんじの構造になってるとおもう。

安福 なるほどなあ。

柳本 だからちょっと古畑って、カウンセリングみたいなかんじなんですよ。

安福 ああ、そうですね。はなしききますもんね。すごく、ささいなことも。

柳本 むしろ犯人が話そうとしてこなかったことさえ、きいてますよね。ささいな、ふともらしたようなことを。でもそのことによって、みえなかったものがみえてくる、殺人をとおして。ひとって、話す主体って、じつは、話してないことも話してるんですよね。でもその話してないことを話したときに、主体の核みたいなものがぽろっとでる。

安福 ほんとですね。

柳本 でも、それは定型っていうか音数律もそうだとおもうんですよ。音数律をとおしてふだんみえなかったけど、実はもっていたことばがでてくる。

安福 ああ。

柳本 ここは五音とか、ここは七音とか。

安福 ほんとですね。

柳本 音数律に捕まるっていうんですかね。でも捕まってはじめてわかることもあるから。言葉を殺してね。言葉を殺して音数律に捕まる。

安福 この言葉ほんとはいらなかったとかわかりそうですね。つかまってみないとわかんないですね。

柳本 定型も話してなかったのに話したことを教えてくれるとおもうんですよね。

安福 みえてるのに・みえなかったみたいなね。

柳本 でも、みえてるのに・みえなかったってミステリーの基本ですよね。なんかすべてといっていいんじゃないかと思う。だって犯罪者っていうか、たいてい証拠は、ミステリーにおいてはいつもはじめからめのまえにあるんですよね。ぜんぶそろえられて、最後がくる。はじめにぜんぶがある。だからミステリーって精神分析学的なんだとおもうんですよ。みえてるのに・みてないだけっていう。この古畑の第3話のラストみたいに。
ひとはみえてるのに・みてない世界のなかで生きている。そのみかたを教えてくれるのが精神分析だったりカウンセリングだったりするとおもうんですよね。だから、治療者と探偵は似てるとおもう。精神分析医と探偵は。

安福 ああ。

柳本 だから以前、「あとがきの冒険」で定型と認知行動療法について書いてみたことがあるんですけど、音数律って精神分析医的役割をすることがある気がするんですよね。

安福 数が私たちを癒してくれる場合もあるんだね。ジョジョのプッチ神父みたいだけど。

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安福望:古畑任三郎「笑える死体」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「笑える死体」の回の絵

posted by 柳本々々 at 22:35| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

〈引きこもり〉と『アナと雪の女王』をめぐって 安福望×柳本々々

『アナ雪』のレリゴーってぜんぜんポジティブな歌じゃないよね。だって、エルサが力を解放して、これからはたった一人で氷の城にひきこもろう、ってことなんだから。ひきこもりで超OK! みたいな歌だよ。
  (斎藤環『おたく神経サナトリウム』)


柳本 斎藤環さんも書かれていたけれど、アナ雪って〈引きこもり〉が軸になっているというか、自分が発動してしまった病(やまい)とどう向き合うかっていう物語な気がするんですよ。メンタルヘルスの物語というか。わたしも高校中退したからわかるんだけど、なんか病んじゃうときって、病みたくて病むわけじゃなくて、なにか自分で制御できないちからが発動して、そのちからに負けて病んじゃうとおもうんですよね。
これだからメンタルヘルスと引きこもりと人間不信の物語なのかなって思ったんですよ。じぶんじゃどうにもならない病み=闇があって、だから引きこもるんだけど、まわりとの軋轢はどんどんそれでも生まれてきて、人間不信になっていって、ATフィールドでつくったような巨大な氷の城に閉じこもっちゃう。
だれにもわかってもらえないし、妹はその日会った男と平気でけっこんしちゃうし。
あの「ありのままで」の歌が力強いのって、もういいや、って吹っ切れたのがすごいとおもうんですよね。べつに病んでてもいいよねって。なんかちょっと仏性ですよね。この世界に〈こう〉じゃなきゃないもんなんてない。〈これでいい〉みたいな。ニーチェみたいでもあるけど、仏(ほとけ)みたいでもある。
なんかもしそんなふうにみとめられたら、たとえどれだけ病んでも、いったんは、病みから解放されるような気もする。
たとえば、学校や会社に行けないとかも、行けなくてどうしよう、がずっとつきまとうと思うんですよね。ただ行かなくていいかと思えたところから出発できることって多いようにも思うんですよ。「なになにできなくてどうしよう」ってちょっと呪いみたいなところがあるんじゃないかと思う。その〈なになに〉にとらわれるというか。
わたしは「行けなくていいか」と思えたときに、そこからばたばた未来が音をたててやってきて、大学に行けたかんじがしました。

安福 「ありのままで」っていろんな「ありのままで」があるんですね。

柳本 ちょっと話を変えますが、『アナ雪』がいいなとおもったのが、はじめて〈口臭〉が感じられるCGをみたっていうことだったんですよ。

安福 えーそうなんですね。

柳本 はい。アナって主人公の女の子なんですけど、そばかすが多いのね。で、肩にまでしみというかそばかすがひろがってんですよ。

安福 へえ、そうですか。

柳本 それってなくてよいことじゃないですか。ただ人間の身体ってなくてよいことのかたまりみたいなもんで、そのなくてよいことのためにアンチエイジングとか必死にやってるわけじゃないですか。だから、そのなくてよいことをCGでたんねんに描くっておもしろいなと思って。しかもおんなのこね。

安福 たしかにそばかすいっぱいありましたね。

柳本 アナ雪のひとつのテーマに〈わたしをきずつけないで〉っていうのがあるとおもうんですよ。氷って傷つきやすいですよね。全面氷の世界って、傷の世界でもあるとおもう。傷つきやすさの世界というか、可傷性の世界っていうのかな。
氷ってそのメタファーなんだとおもったんですよ。氷も傷つきやすいし、氷によって誰かを傷つかせることもできるしね。刃物ざっくざくというか。

安福 なるほど。

柳本 この映画おもしろいなと思ったのが始まりのシーンで、ぶあついこおりを割るところからこの映画はじまってるんですけどね。男たちが仕事として氷をきりだしてるんだけど、つまり、男たちや社会は氷を〈割る〉んですね、ためらいなく、ばんばん。だけど、エルサは、その氷を頑丈で分厚いこころの〈壁〉にしてしまう。そういう社会や男との対比があるのかなって。エルサは社会とおりあえない。アナはそのとき男社会の側に取り巻かれた価値観として対立しちゃう。
わたし、ふっと思い出した短歌があって、

  いちめんのたんぽぽ畑に呆けていたい結婚を一人でしたい  北山あさひ 

エルサって氷の城で「結婚を一人でしたい」っていう価値観だったんじゃないかと思って。それは社会と対立することになるから、しんどい状況だともおもうんだけど、ただそういう場所に立っちゃうことってあるんじゃないかと思って。

安福 ああ、なるほど。

柳本 ディズニー映画って、物語が結婚成立に向けてむかっていきますよね。カップル成立に向かって。でもこのアナ雪って、引きこもり脱出が焦点になってるからそれがちょっとおもしろいなと思ったんですよね。しかも愛する男のひとが助けにくるとかじゃなくて、家族が助けにくる。『美女と野獣』の野獣も引きこもりだったけど、あれはカップル成立すると引きこもり脱出の物語だったじゃないですか。あとあれは〈外見〉の物語でもあったんだけど、アナ雪はカップル単位がなくても家族というか妹の愛によって引きこもりからたちなおるっていう〈内面〉の物語だったっていうのがちょっとおもしろいのかなって。

安福 エルサは氷の城にとじこもって巨大な氷のモンスターまでだしはじめちゃうけど、そういうなんか〈傷〉で社会とつながっていく部分って、竹井紫乙さんの川柳とか思い出したんですよね。柳本さんがフシギな短詩でかいてた、

  階段で待っているから落ちて来て  竹井紫乙

とか。

  ここが好き生まれ育った地下である  竹井紫乙

とか。

柳本 ああほんとですね。うーん、だから、傷によって社会とつながってゆくことってあるんですよね。傷からたちなおっていったり、生き方の路線変更したり。

安福 傷、って可能性かもしれないってことですね。

柳本 痛い、は、可能性かもしれない。

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posted by 柳本々々 at 20:29| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

48→84(よんじゅうはちからはちじゅうよん):200字川柳小説  川合大祐

→のボタンを押したままにすると、いつしか強大な魔王の前に立っている。そう、あれは1984年のことだった、ような気がする。『必殺』が『必殺まっしぐら!』だったのもその頃だった、ような気がする。その一年後には某球団が優勝して、主水がバースになっていたりした、ような気がする。騒がしい日々、だったような気がする。朝、ふと気付けば、スクロールから戻り道がないのだった。←のボタンを失くしていた子供は↓だった。

  カレーから耳だけ出している子供  竹井紫乙(第76回川柳北田辺・席題「から」)
 
posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月04日

定型から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第2話「動く死体」(犯罪者:中村右近【歌舞伎役者】=堺正章)

柳本 短詩にとって主体ってたぶん定型だとおもうんですよ。定型や構造が主体になっている。ただそうした定型観ってじつはけっこう生活のあちこちにあるんじゃないかと思って。
たとえば、『古畑任三郎』を観ていて似ているなと思うのが、死体なんですね。死体って定型みたいだなとおもって。

安福 ああ、なるほど。たしかに定型ってほんと死体みたいですよね。なんかあるだけで、なにもしてくれない。でもすごい存在感。死体の存在感ってすごいですよね。生きてる人間よりある。ミステリーだと一番大事にされますね、死体。

柳本 あの、古畑の第二話って「動く死体」ってタイトルなんですけど、一話目のタイトルが「死者からの伝言」であったように、一話二話目で、もう、死体が主体っていうのがはっきりきまってるんですよね。だから古畑ってなんだったかっていうと《死体への苦労》なんだとおもうんですよ。死体にふりまわされる話。死体は伝言もってきたり、動いちゃったりするから。死体、たいへんだよ! ってなる。死体に引っ張られて古畑もくるし。

安福 なるほどなあ。

柳本 「犯罪者はつらいよ」、みたいな話になってる。コロンボもそうですけどね。

安福 死体が主役なんですね。

柳本 なんか力学の中心なんですよ、死体が。ちょっと京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』みたいだけど。あれは「動かない死体」か。

安福 ほんとですね。

柳本 ただ三谷幸喜さんのコメディの基本的な構造は、《主体はつらいよ》なんですよ。なにかの核があってそれにみんながばたばたふりまわされるというか。

安福 えっそうなのか。

柳本 それが喜劇の核になってるとおもうんですよ。だれかとまちがえられたり(『君となら』)、潰れる間際のレストランをなんとかしなきゃいけなかったり(『王様のレストラン』)、ラジオドラマをさいごまでやりぬかなきゃならなかったり(『ラジオの時間』)、家たてなきゃならなかったり(『みんなのいえ』)、なにかをなんとか・どうにかやりぬくっていう主体。
だいたいでも一話目でも話したみたいに建物をめぐる話でもありますよね。『真田丸』も真田丸っていう建物のタイトルがつけられていたし。今回の二話目も歌舞伎の舞台装置が事件の鍵になっている。だから建物に主体がある。これも定型という音数律=構造が主体っていうのとよく似てるとおもう。短詩をする人間はともすれば定型にふりまわされて、コメディにもトラジディにもなる。
そういうみんながどうにもならないものを前にしてなにかをどうにかこうにかやりぬく。それが三谷さんのドラマツルギーというか作劇だとおもうんですよ。だから犯罪者も死体をまえになんとかやりぬこうとする。

安福 古畑さんは、後始末してるかんじしました。

柳本 だから、『古畑任三郎』の一話目と二話目のタイトルにそういう《主体はつらいよ》ってかんじがよくあらわれてるとおもうんですよ。「死者からの伝言」に対処しなければならない、「動く死体」に対処しなければならない。
死体はいきいきしてるんですよね、いきているにんげんよりも。

安福 いきいき。

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古畑任三郎「動く死体」の回の絵:安福望

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古畑任三郎「動く死体」の回の絵:柳本々々


posted by 柳本々々 at 20:59| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする