2017年03月13日

狂気から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第10話「矛盾だらけの死体」(犯罪者:佐古水茂雄【議員秘書】=小堺一機)

柳本 この回、小堺一機さんを起用してるのがおもしろいですよけ。三谷作品ってだいたんな起用がありますよね。流動的な役者の起用というか。
え、こんなひとが、だれだろうこのひとは、とかってありますよね、三谷作品って。
それって三谷幸喜のなかで、演劇系の俳優とドラマ俳優とお笑いタレントのあいだに垣根がないってことだとおもうんですよ。
で、その垣根というか位階というかそういうのがない場所ってひとつだけあって、それって、〈テレビ〉ですよね。
三谷作品ってテレビっこがテレビのためにつくったテレビ作品ってかんじがするんです。
テレビってなんでも放送するわけでしょ。それが最大の強みなわけですよね。
ふまじめなものから伝統的なもの、シリアスなものまでぜんぶすべてがつまってる。
そういうせんぶをひっくるめたテレビ価値観を三谷幸喜はもってて、だから小堺一機と坂東八十助と菅原文太が
並べるんだとおもうんですよね。

安福 ああそうですね。今回の小堺さんの回って、すっごく三谷劇ってかんじしましたよ。勘違いの積み重なりってかんじ。

柳本 こんかい、勘違いされるひとのはなしだけど、セカンドでも、風間杜夫がおなじ勘違いされる犯人をやってましたよね。サードの玉置浩二もそうですね。
この勘違いが物語の駆動力になるのはヒッチコックがそうなんですよね。
ヒッチコックはほとんどが勘違いがもとになってはなしがすすんでいくから。あの『サイコ』なんかもけっきょく〈勘違い〉している〈こころ〉=サイコですよね。
ただその勘違いってもっといえば、シェイクスピアなんですよね。
だから劇の基本って勘違いにあるんじゃないとおもうんですよね。
で、なんで勘違いが劇の基本になるかというと、嫉妬をうむからだとおもうんですよ。『オセロー』とかそうだけど。勘違いで嫉妬してドラマチックになる。ドラマってなんのことかというと葛藤だから。こうかもしれないああかもしれないってひきさかれていくことだから。
今回の小堺一機もずっとひきさかれた状況にありますよね。ああまた俺じゃないのかって。だから基本的に勘違いがドラマをうむんじゃないかと思うんですよね。

安福 そうですね。小堺一機、ずっとゆれてましたね。勘違いがドラマを産むかあ。たしかに恋愛とかもそうですよね、たぶん

柳本 恋愛ってたぶん究極の勘違いじゃないですか。へんな言い方だけれど。だからドラマチックなんだとおもう。答え合わせができないから。なんで好きなのかって答え出ませんよね。
だから勘違いっていつも新しい価値観の生成だとおもうな。
劇作家ってそもそもかんちがいを軸にかんがえてるとおもうんですよね。前回のあてがきの話もそうだけれど、役者にあてて書くけど、あれっこのひとこういうひとかもっていうのがでてくるわけですよね、やってると。そうするとそこからまた新しい価値観がうまれてくるし。
だから劇とかドラマってそういうずれてく人格みたいなのをずっとかんがえていくことだとおもうんですよ。
昔、岩松了さんに松本幸四郎さんが舞台袖で、舞台やってたときに、毎日おなじ時刻におなじせりふをしゃべってるってちょっとにんげんとしてへんじゃないってはなしかけてきたことがあるらしいんですよ。
でもたしかにそうかんがえると舞台とかってすごくへんですよね。まっとうなことしてても。毎日おなじ場所でおなじ時間におなじせりふをしゃべってるんだから。人格としてずれてる。ちょっと狂ってる空間なんですよね。

安福 同じことしますもんね。

柳本 むしろかんちがいしないと人格が成立しないところがありますよ。
三谷作品ではすこしまえにもふれたけれど狂気ってテーマがありますよね。『振り返れば奴がいる』でも西村雅彦がくるっていくし、古畑でも自律神経失調症になってますよね。

安福 だれか狂うひとがでてくるんですね。 

柳本 ドラマってそもそもが狂気なんじゃないですかね。

安福 ああ。ドラマの撮影って、話の順番にとらないじゃないですか。最初と最後を一緒にとったりするんでしょう。それって狂ってますよね。

柳本 あそうそう。だから三谷幸喜さんが『マジックアワー』撮ったときに、あれはそういう、フィクションってなんだろうって作品ですよね。あれももうさいしょから勘違いを展開していくはなしだけど。

安福 舞台だとしても、順番に演じるけど、それをくり返すから、狂ってるんですよね。それもたえずフィクションってなんだろうってなるね。

柳本 そもそもでも三谷幸喜はフィクションってなんだろうってずっと問いかけてるきがしますよ。『十二人の優しい日本人』に「ほんとうのことなんてだれにもわからないんです」って陪審員のひとりがいってるけど、それってフィクションってなんだろうってことだとおもう。フィクションって妥協なんじゃないかって。
でも妥協を妥協としてうけとめられるって狂気じゃないかって。
だから三谷幸喜作品でよくある長回しのシーンって、その狂気に対抗するために、正気をもちこんでるきがするんですよね。あえて編集しないような。正気の基準点というか。

安福 ああくるってないとできないことたくさんありますからね。

柳本 たくさんありますああくるってないとできないことたくさんありますからねできないとくるってることああ。


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安福望:古畑任三郎「矛盾だらけの死体」の絵

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柳本々々:古畑任ザブ子の絵

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2017年03月12日

南極熊の生態:200字川柳小説  川合大祐

【和名】ナンキョクグマ【学名】ウルスス・メンダシウム【体長】0.05mm〜50M【平均寿命】1週間【特長】外見上はホッキョクグマに酷似しているが、縞柄や豹柄、まれに透明の個体も存在する。主食はココナッツであり、別個体の頭部に殻を打ちつけて割る。ために同族との接触を極度に警戒するが、常に実を咥えている。あらゆる論文・事典・WEBから抜け落ちる習性を持つため、この種を記述した文章はどこにも存在しない。

  白夜来て南極熊が踊り出す  いば ひでき(今月の作品「ギター」より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

才能から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第9話「殺人公開放送」(犯罪者:黒田清【霊能力者】=石黒賢)

安福 この回は超能力の、もっというと、才能の話なのかなあっておもったんですよ。じぶんに才能がないってことをみとめられないというか。なんかでも古畑さんがやさしいのもきになったなあ。

柳本 ああ。これ同時にメディア論だともおもったんですよね、この話。才能ってメディアともかんけいしてるって。メディアによってやめられなくなってたわけですよね、石黒賢は。

安福 あ、そうですね。

柳本 だけどうまいこといけばちがうほうこうにもいけたんじゃないかとおもって。

安福 たしかにね。

柳本 メディアはいちおう味方してるんだから。

安福 ほんとですね。むかしはほんとに力があったんだよっていってたじゃないですか。なかったかもしれないけど。でも二十歳すぎてからなくなってっていってて。そこでやめずに、いたんですよね。なんかすごいなっておもったんですよ。自分は特別なんだって思い込みで、二十歳からはずっとやってきたんですよね。もしかしたら最初からずっとそうだったのかもしれないけど。古畑さんって過去がよくわかんないじゃないですか。なんか似たとこあったのかもってなんかちょっとおもった。なんでかわかんないですけどね。
だから二十歳までは能力があったっていうのも、さいごに「そういうもんです」みたいなこと石黒賢にいってて、それは自分もそういう道とおったよってかんじになんかやさしいかんじにおもったんですよね。

柳本 ぎゃくにじぶんじしんをだましていたのかもしれないですよね。
だけど二十歳になって万能感もきえてだましきれなくなって、こんどは外側をだますようになったというか。

安福 ああ。

柳本 あの今回の事件の鍵になってる犯人がかけてたサングラスで色がちがってみえるって。結局こころのサングラスをずっとかけてたってことなんじゃないですかね。だから、もともとサングラスをずっとかけてるみたいに、ずれてたんじゃないかって。悲劇があるとしたら、それってこころのサングラスなんじゃないかとおもうんですよ。

安福 ああ、ほんとですね。

柳本 でもそれでもあなたにはなんらかの魅力があるからいっしょにちょっとそれさがしてみようっていってくれるひとがいなかったことじゃないかな、今回の石黒賢の悲劇って。
サングラスをはずしてくれるひとがいたらこんなことにならなかったかもって思うんですよ。そもそもサングラスって心理的防衛ですよね、世界をちゃんとみないようにするための。

安福 ほんとですね。

柳本 むしろサングラスによってじぶんにマジックをかけてますよね。だからはじめて古畑がそのサングラスをはずしてくれたんじゃないかっておもうんですよ。

安福 ああ、そうですよ。
柳本 あのレザージャケットも防衛だとおもうな。あれってさわれないでしょひとが。指紋がつくから。さわるなってことだとおもう、じぶんいがいは。

安福 あのひと強烈に孤独ですよね。

柳本 だけど古畑が証拠としてそれをぬがせるわけでしょ。

安福 あっほんとだ。

柳本 だから古畑が武装解除したんだとおもうんですよ。

安福 なるほどなあ。

柳本 だからこそ、あのラストシーンでね、ためせたんだとおもうんですよ、じぶんのほんとのちからを。だってふつうは失敗するのこわいでしょ。じぶんで自覚してあきらめなきゃならなくなるから。

安福 ああ、だから、二十歳からちからなくなったこともいえたんだなあ。

柳本 だけど古畑の前ならっておもえたんじゃないかな。だめだったけど。だけどわかったわけだよね。あれであきらめることができましたよね。これからはちがう生き方ができる。
おっちよこちょいの神戸浩の大道具が落っことしちゃって重たいものがおちてきた。霊能力の仕組みなんてほんとはそれくらいでしかないって。

安福 ほんとですね。

柳本 この回はメディアの回だけど、テレビ番組だから、だからメディアってどんどん価値観がわかんなくなるけど、ただしさとかまちがいも、でもああいう1対1の会話でふっとちゃんときづいてしまうこともあるっていう。

安福 ほんとですね。

柳本 だからあの犯人にとってメディアって、サングラスだったんですよね。

安福 ああ、そうかあ。

柳本 ただ目元にあったからきづかなかった。

安福 じぶんじゃきづかないんですね。

柳本 この回のラストシーンの音楽ってすごく印象的じゃないですか。本間雄輔さんの。本間さんは『世にも奇妙な物語』の音楽もつくってるけど、それっぽい音楽ですね。なんか超越的な。超能力的な。
で、ファーストでつかわれてた音楽ってセカンドからつかわれなくなってますよね。この音楽だとカウンセリング色がつよすぎるのかもしれませんね。超越的な。ちょっと宗教曲みたいになってますもんね。神様ソングみたいな。

安福 このものおちるとことか、なんか音楽がこんなになるんだっけなっておもいました。

柳本 スタジオの天井じゃなくて、天からおちてきてるかんじしますからね。

安福 ああ、しますね。

柳本 この曲のせいで神戸浩さんのたどたどしさが聖性をだしてるっていうか、天使みたいになっちゃってますよね。

安福 だしてるだしてる。

柳本 セカンドの古畑は明るくなるんだよね。はじけるというか。それでサードはほとんど神様というかご宣託をいうだけになる。

安福 そうなのかあ。

柳本 セカンドはじっさい外がおおくなるから外のひかりをあびるようになる。木村拓哉の遊園地の回とかそうですよね。

安福 あっそうかあ。

柳本 そもそも古畑って初期設定は暗い設定だったんだよね、公務員的で黒縁眼鏡の。まじめで実直な。だけど田村正和がこういうスタイルでいきたいっていって、今のスタイルになったらしいんですよ。

安福 へーそうなんだ。

柳本 そもそも古畑も防衛はあるはずですよ。だってずっと黒い服っておかしいでしょ。おなじ髪型で。

安福 あっほんとですね。あっだからやっぱり石黒賢とにてるっておもったんだよ。なんか。

柳本 だから古畑だってこころのサングラスもってるはずですよ。あとやっぱりオープニングが、なぜかれはこの暗いばしょでひとりでしゃべってるんだろうってふかしぎさはあるよ。

安福 ほんとね。あれへんだよね。だれにむかってはなしてんだろう。まわりだれもいないですよね。

柳本 解決のまえもしゃべりますよね。最終回でだれとしゃべってるんだっていわれるんですけどね。そうしたら、こっちをみて、こちらの方って視聴者をゆびさすんだけど。結局石黒賢みたいに古畑もオーディエンスにむかってしゃべってるてんでメディアのひとではあるんですよね。超能力少年というか。超能力中年。

安福 そうね。古畑さんってなんかもうあきらめてるようなかんじがするんですよ。じぶんはこうでしか生きられないみたいな。

柳本 それは間と笑顔じゃないですか。古手川祐子のときに間をおいてにっこり笑顔をみせてたけど。

安福 間と笑顔かあ。

柳本 今泉にはそれないですよね。今泉ってあかるいけど、間と笑顔がないですよね。

安福 ないですね。

柳本 間と笑顔があるの犯人と古畑だけですよ。間って内面なんですよ。笑顔はその内面の受領。
間+笑顔=諦念
ですよね。

安福 ああ、なるほど。間って内面なのか

柳本 ひとと会話してるときにぽんぽん返事しないでちょっと間をおいてから返事するとドラマチックになりますよ、無意味に。そしてそのあとににっこりほほえめばさらに無意味にドラマチックになりますよ。

安福 おもしろいですね笑

柳本 間って、むずむずするんですよ。あとドラマをつくるんですよね。だから芸人のひとが笑いをコントロールするのに間をつかうんだとおもう。島田紳助もビートたけしも笑いは間だっていってたとおもう。

安福 ああ、なるほどー。

柳本 北野武映画って間の映画ですよね。間が暴力になってるのが北野武映画だとおもうんですよね。

安福

柳本

安福

柳本

安福 あっ、そっかー。

柳本 …………。


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安福望:古畑任三郎「殺人公開放送」の絵

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柳本々々:古畑任三郎(♀)の絵
 
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2017年03月10日

相棒から考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第8話「殺人特急」(犯罪者:中川淳一【外科医】=鹿賀丈史)

柳本 きのうの続きなんですけど、『相棒』って、相棒の名前の構造はきまってんですよね。「か」ではじまり「る」でおわる。亀山薫とか神戸尊とか。だからなんか、神話的ですよね。魂だけひきつがれていくみたいなものだから。王権神授説みたいに。

安福 ああ(ほんとだなあ。おうけんしんじゅせつ……王様の真珠かな……へたなことは言わないでおくかな)。

柳本 王様の身体みたいなかんじですよね。身体がうしなわれても魂だけがどんどんひきつがれていくから。
だから『相棒』って伝達の物語のようなきがするんですよ。相棒が相棒性を伝達していく物語。ある意味、魂(ソウル)の物語というか。
それってでも、日本ではなじみぶかいとおもう。元号なんかもちょっとそうですよね。

安福 ああ(あ、そうかあ。こんな例はどうだろう。すこしあげてみるとするかな)。政治家とかもそうですね。なんかその土地代々のってかんじして。

柳本 ああそうですね。歌舞伎とかも。名前をついでいくかんじ。

安福 ああ(こんな解説はどうだろう。すこし話してみるとするかな)。政治家も秘書が優秀でも秘書は名前をもってないからなれませんよね。これは古畑でこれから小堺一機の回ででてくるけれど。やっぱり二代目じゃないととかってなる。

柳本 それは縦の移動ですよね。親から子へっていう。
三谷作品て横の移動が顕著ですよね。映画もかならず前作の登場人物がでてくるし。
今回の中川先生の回も、中川先生は『振り返れば奴がいる』の外科部長でしたからね。あの手がふるえてたやさしくてずるい先生。最初これみたとき、え、つかまえちゃっていいのかとおもったけれど。そういう横のクロスをさせていく。この後に出てくる桃井かおりは『ラジオの時間』にでてくるし。
それってある意味、引き継ぎ不可能性みたいのがあるとおもう。『相棒』とは逆で。
それのわかりやすい例が三谷さんは脚本をぜったいに書籍化しないけど(『オケピ!』は賞をとってしまったので三谷幸喜が断念して書籍化されたが増刷しないため古書価があがっている)、それはほかのひとが演じないようにするためですよね、アマチュア演劇とかで。三谷さんは高校生からやりたいっていわれても断ってるそうだから。
だから三谷幸喜にとって引き継ぎって概念はないんじゃないかと思うんですよ。すべて魂のあてがきというか。もちろん、『オケピ!』で真田広之から白井晃にかわったりもするけど、たぶんかきなおしたとおもうんですよね。そこらへんが『相棒』となにか感覚がちょっとちがうかんじがするんです。
だから今回の中川先生の回はクロスの問題ですね。
で、たぶん、三谷ワールドっていうのは全部がつながってるんだろうなっていう感じがありますね。あの『真田丸』でも松本幸四郎が『王様のレストラン』の伝説のソムリエみたいなかんじで出てきたように。巨大な三谷ヴィレッジみたいなものが。レイモンド・カーヴァーがホープレスヴィルを描いたなら、三谷さんは、ホープフルヴィルを描いたかんじかなあ。
それってもうなにかっていうとやっぱりそれはそれで神話大系みたいになるとおもうんですよ。でも、横の神話ですよね。だからひとつの巨大なヴィレッジ(村)のような。手塚治虫の漫画のスターシステムみたいに役者さんがたびたびおなじひとが起用されていくのもそういう神話的なくうかんをつくりだすとおもうんですよね。横にひろがるネットワークの。
三谷劇の重ねられた身体性みたいのをつくっていく。あの小日向文世さんなんかまさにそうですよね。さいしょは冷酷キャラだったんですけど、古畑ではね、田中美佐子の回で几帳面すぎる夫として出てくるんだけど、二回目の登場は松嶋菜々子の最終回に気のいいおちゃらけキャラになって出てきて。探偵のブルガリ三四郎として。だから三谷さんは小日向文世さんを観察しながら気づいていっていますよね。そのあとその冷酷さとおちゃらけさの両面を弁証法的に複合したのが『真田丸』での豊臣秀吉でしたよね。
西村雅彦もそうだとおもいますね。そういう両面のキャラクターをよくひきだしてる。

安福 ああ(なるほどなあ。ここはよく聞いてるふりをするとしてうなずいておこう)。

柳本 そういう三谷さんがかかわりながらひきだしていく身体性ってありますよね。三谷さんが学習する過程を、オーディエンスもいっしょに学んでいく。たぶんそういうかかわりあいのなかでつくっていくからすべてのキャラクターが三谷神話群のなかに回収されていくんじゃないかとおもうんですよ。
だから〈あてがき〉ってなんなのかってことがいつも三谷さんの作品では問われてる気がする。
でもたぶん感想なんかもそうですよね。なにかについて感想を述べることとか、絵を描くこととかも。

安福 ああ(きゅうに話がこっちにきたなあ。まいったなあ。こっち見てんなあ)。


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安福望:古畑任三郎「殺人特急」の絵

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柳本々々:古畑任三郎「殺人特急」の絵
posted by 柳本々々 at 20:47| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女の子と男の子とみんなから考える古畑任三郎 安福望×柳本々々−ファーストシーズン第7話「殺人リハーサル」(犯罪者:大宮十四郎【時代劇俳優】=小林稔侍)

*いろいろなミステリのネタバレがあります。

柳本 この小林稔侍の回の話は、もともと渥美清のために書かれた話だったんですよね。

安福 えっ、そうなんだ。

柳本 だかららもし渥美清がやったらそれはとってもすごいエピソードになってたとおもうんですけどね。それは同時に古畑と金田一の出会いでもあったんだろうし。
三谷幸喜さんは『男はつらいよ』の渥美清すきなんですよね。劇作家のひとで渥美清すきなひとおおいですよね。ケラリーノ・サンドロヴィッチさんとかもたしかそうだったと思う。

安福 へー、渥美清と 小林稔侍だとだいぶイメージちがいますね。

柳本 で、前回はみんなから嫌われてるひとの話だったけど、今回はみんなから好かれてるひとの話ですよね。次の回の鹿賀丈史はじぶんが好きなひとの話になるんだけど、そう考えると古畑ってちょっと連句みたいにゆるやかなつながりがありますよね、エピソード間に。さいきん出た『俳誌要覧』の小池正博さんの連句をめぐる記事を読んでいたときに連句っていろんな文化のなかで考えることができるんだなあとおもって。そういうゆるやかな流れとしてのつながりとして。
たとえば三谷幸喜さんはその役者に合わせてホンを書くという《あてがき》をするけれども、これもひとつの連句的要素があるんじゃないでしょうか。
話を戻すと、渥美清さんっていっさい役者たちに怒ったりしなかったらしいですよ。ドキュメンタリーみてたら、倍賞千恵子と前田吟がそう語ってました。家庭ではちがったかもしれないけど。ともかく役者としては愛されてた。ただこれまた小林信彦さんが書いた渥美清の本を読むとまたちょっとイメージ変わってきますけどね。すこしこうナイフのようなとがった部分と奇妙な部分と寛容さを同時にもつ渥美清というか。

安福 この殺人って、みんなの前でおこなわれますよね。血がばーってでるし。みんなが共犯のようなかんじですね。共犯じゃないんだけどみんなあの殺された人より映画が大事。

柳本 そうですね、だから後の松村達雄の回の「灰色の村」みたいになってますね。『オリエント急行殺人事件』みたいなもんですよね。
あのー、でも、『王様のレストラン』とか『ラジオの時間』も似た構造で、みんなで何かをなしとげるためにばれなきゃいいだろイデオロギーみたいなのは三谷幸喜作品にあるとおもう。

安福 ああ、そうですね。

柳本 『王様のレストラン』でデザート職人の梶原善が失恋でいなくなったときに駄菓子を買ってきてそれできゅうきょデザートつくるんだけど、ドラマとしてはおもしろいんだけど、お客だったらやだなっておもいますよね笑。フランス料理として高いお金払って。

安福 そうですね笑

柳本 割とあのレストランはお客側からみると、けっこうやだなっておもうことがいっぱいあるんですよね笑。闇金融のひとが入ってきて暴れたりとか

安福 たしかにね笑。愛人が働いてるし。

柳本 だから三谷幸喜作品って、みんなが感動してればいいじゃない、っていうイデオロギーがあるような気がして。『ラジオの時間』も役者たちのわがままで脚本としてはけっこうひどい状況になっていくけど、でもみんながんばったし感動したからいいじゃないって。
だからなんていうかなこの古畑もね、なんかきりころされた長谷川初範がなんかさいごもうわすれられちゃってるような。

安福 ああ、そうですね。

柳本 べつにそれがわるいってことではないんだけど。でも三谷作品って熱さとか一致団結で、見えなくしてしまうサイドがあるんじゃないかってときどきおもうんですよ。
なんていうかな、わたしはもう一度だってやるつもりだよってさいご小林稔侍がいってますけど、

安福 ああ、いってましたね。

柳本 美談ですけどね。でも裏を返せば結局全く反省してないわけですよね。『相棒』の右京さんなら頬をふるわせて怒ってますよ。

安福 そうですね。でもあれ、殺しても殺さなくても、あそこはなくなっちゃいますよね、たぶん。経営難で。殺しても意味ないんじゃないかっておもった。

柳本 ああそうですね。だからなんか勘違いが、美談になっちゃうときありますよね。そういうのを描いてるともいえるのかなあ。
勘違いがみんなで一致団結すると美談になる。
だから『ラジオの時間』もね、自分がただたんにリスナーとしてきいてたらこのラジオドラマそうとうひどいんじゃないかとおもって。ちなみにDVDの特典でラジオドラマだけ抜き出してきけるんですけどね。

安福 だから聞いてるひととして渡辺謙がでてきたのかな。感動するんですよって。

柳本 ただおもしろいのがね、三谷幸喜さんってときどきわけわからない突発的なシーンをはさむことがあるんですよね、一致団結のあとにあまのじゃくのようなシーンを。『みんなのいえ』で、なんかすごくみんながやっとなかよくなって、ああやっとこれで一致団結してつくれるってときになぜか唐沢寿明が家にペンキをぶちまけるのかな、なんかだいなしにするシーンがきゅうにはいって。え、これ、なんでこんなシーンいれたんだろっておもって。今でもあのシーンだけなんか浮いてるかんじもするけれど、でもたぶん三谷幸喜作品ではそういう、きゆうにみんなの一致団結にたいする反動みたいなひとがときどきぽつぽつでてくるきがする。それがなんかおもしろさとしてある気がします。たぶんこの後にでてくる今泉慎太郎の古畑任三郎への殺意もちょっとそれに似てる気がする。
あの、『総理と呼ばないで』でも小林隆の肖像画家がだんだん狂っていっちゃうんだけど、物語の本筋とは関係ないところで、ああこのひとどうなるのっていう解決しないひとをいれる、っていうか。
解決しないひとやシーンをいれることで、ちょっとみている人間にフックをかけていくのも三谷幸喜作品だとおもう。
『笑の大学』でもそうなんですね。検閲官と喜劇作家はだんだんなかよくなるけど、とつぜんやっばり検閲官がそれをひるがえす。なんかこうた、ひねくれる、ってファクターがとても大事なファクターとして機能してるきがする。みんなみんなイデオロギーに対して。

安福 なんかそれまた、短歌と一緒なんじゃないですか。解決しないとこが必ずあるところ。その解決しないところがずっと読まれたりするじゃないですか。

柳本 なんか季語がそうなんじゃないんかっておもったりもしますけどね。俳句にとっての。季語って解決不能なきがするんですよ。季語って季節を感じさせる言葉というよりは、《逆行》を埋め込むための装置のようなことばじゃないかと思っていて。だからなんかイデオロギーにできなかったり、冷却装置としてはたらいたりいろんなふうに働くんじゃないかと思ってるんですけど。

安福 話変わりますけど、小林稔侍のこの回で気になったのは、あの月でした。小林稔侍だけがあの月のこと知ってるっていうこと、で、それが逮捕のきっかけになりますよね。大事なものって守っちゃうから、ばれるんですね。

柳本 ああ、今回問われてたのって、ほんものとにせものの違いって何かでもありますよね。ドラマだからぜんぶにせものじゃないですか。言ってみれば。月だって舞台装置でしかないし。でもにせものでもおもいがやどるとほんものになってしまう。真剣みたいにひとをころすまでになってしまう。それってみんなイデオロギーもそうですよね。だんだん偽物だったはずの感情がみんなでなんか同じ事を言ってるうちにほんものになっていって執着がでてくる。
なんかこれいい話でおわってるけどじつはすごくこわいはなしだとおもう。

安福 ああ、ほんとですね。本物と偽物の話だ。

柳本 にせものでも思いがこもればひとをころすようなほんものになるって。ただ舞台はいつだってにせものだから。そういう怖いことがいつも舞台のうえではおこなわれてるんだとおもう。
 
安福 「動機の鑑定」とにてるのかなあ。あれも偽物と本物がでてきましたね。

柳本 でも初回の中森明菜からそうですよね。にせものの恋愛だったんだっておもえなかったんだから、わりきれなかったから、殺したんですよね。
ただかのじょは小林稔侍とちがってひとりだったけど。だからそこらへんちょっとジェンダーがでるかもしれないですね。
『真田丸』でも堺雅人の側室の長澤まさみはずっとひとりでしたよね。堺雅人はみんなにたすけられても。『ラジオの時間』でも鈴木京香は孤立してたし。

安福 ほんとですね。

柳本 なぜか三谷作品は男同士はなかよくなっていくけどおんなのひとは孤立してしまう。まあだからこそおんなのひとはつよいともいえるけど、なんかちょっとまちがったつよさな感じもしますよね。おとこのひとがなかよくなるためのおんなのひとのつよさというか。

安福 おんなのひとがなかよくなっていくのってかなり細かいきがするんですよ。おんなのひとがなかよくなっていくかんじっておとこのひとみたいにがーっとわーっとじゃないきがして。

柳本 ああ、そうかあ。

安福 三谷さんのにでてくるおんなのひとってつよいですね。たしかに。だめなひとっていないんじゃないですか。わかんないけど。

柳本 ファムファタールなんですよね。運命の女っていう。男をみちびいていく女というか。

安福 つよいでおもったけど、木の実ナナとかめっちゃ強かったですもんね。

柳本 だからこんかいのはなしみたいに共同体的なはなしのときに男ばっかりっていうのは象徴的かもっておもったんですよ。「灰色の村」の回でもおんなのひとがころされるし。

安福 あっそうだ、今回の蟹丸さんがはしゃいでたのがおもしろかったですね。

柳本 今泉は蟹丸さんの側にいますよね。だから古畑って今泉から決してなつかれてないってことがわかる。あと組織からも信頼されてないんだなあって。じゃあ古畑ってなんなんだろうっておもったんですよね。
結局解決が意味がないんですよ社会的に。解決してもだれもそれを評価してないから。
だから犯罪者は社会的制裁をうけてるきがしないんじゃないかと思って。むしろ、ワークショップな感じというか。ふたりでやるワークショップ。だって犯人も古畑もきづかなかったことにふたりでたどりつくわけだから。しかもそれは『相棒』とちがって組織ぬきで、今泉さえぬきでやるわけでしょ。『相棒』はやっぱり『相棒』のなまえのとおり、『相棒』といっしょだから、組織がはいってきますよね。『古畑任三郎』は『古畑任三郎』ってたいとるだから、『古畑任三郎』ひとりなんですよ。

安福 ああ、ほんとですね。

柳本 古畑任三郎ワークショップ。

安福 ワークショップなのかあ。犯人との。

柳本 だから古畑にはああいう小林稔侍みたいのありえないんですよ。ひとり、だから。だからどっちかっていうと女性性なんじやないかな。男同士なかよくしないし。
だから究極的には、古畑任三郎にとってセックスってなんだ? ってことになるとおもうんですよ
それは金田一にとって、ホームズにとって、ポワロにとって、セックスってなんだ? って問いかけになるけど。
あの漫画のね、金田一一少年もね、セックスのチャンスはすごくいっぱいあるけどけっきょくまったくできないっていうのをみると探偵にとってセックスってなんだろうっておもうけど。

安福 うーん、ほんとですね。なんでしょうね。探偵って、たぶんセックスしてしまったらだめなんじゃない。わかんないけど。というかなんだろうできないのかなあ。去勢されてるのかも。

柳本 セックスってたぶんね、現実界にふれちゃうことだとおもうんですよ。で、現実界ってことばで説明不可能なものだから、説明不可能なものにふれちゃだめなんだとおもう。セックスってことばでせつめいふかのうですよね。
あれはきもちいいもので、なにかこうこうふんするもので、とかいってもせつめいになんないんですよね、性って。それはバタイユを読むとよくわかるけれど。死もそうですよね、生命とかも。

安福 そうかあ。

柳本 そういうのってたぶん、ひとが世界をみるときにみえるものとみえないものの区別について考えたカントの後の19世紀くらいにでてきてると思うんですけど、たぶん探偵もそれくらいからでてきてるんじゃないですかね。
で、たぶんそういう説明できない観念がうまれるのって、部屋、家具があるような自分の部屋っていうものがうまれてくるのとむすびついてるきがするんですよね。部屋って、生活してるとわかるけど、痕跡がうまれてきますよね。そのひとの趣味とか嗜好とか。
で、たとえばきょう突然しんでも、そういう痕跡からしらべられるわけですよね。そういう言葉で説明できない痕跡みたいのがうまれはじめたのがだいたい19世紀だとおもうし、そこで探偵もうまれてくるんだとおもうんですよ。なんかそういうつながりがある気がする。たぶんそれはベンヤミンってひとが書いてたと思うんだけど。

安福 なるほどなあ。

柳本 それはもっといえば、「市民」の誕生ってことになるんだとおもいます。部屋をもって、趣味をもち、労働もし、死にかなしみ、セックスをし、生命をかんがえる、って言う。あとちゃんと理性ももって、立派な市民になり、犯罪者にならないよう日々努力する市民。

安福 市民、いそがしいですね。

柳本 近代市民ですよね。近代の誕生っていうか。上のって漱石の人物ですよね、なんだか、まさに。
だから探偵って近代からうまれたのに近代から疎外されてくようなところがあるのかなあ。漱石の探偵嫌いは有名だけれど、漱石作品では『彼岸過迄』とか探偵ってキーワードになりますよね。でも『吾輩は猫である』の猫なんかさまさに探偵ですよね。探偵だけど猫は猫だから労働やセックスから疎外されてる。
だけどさいご死をひきうけようとしてますよね。あれ、ふしぎですよね。あのとき死をひきうけた猫は「近代市民」になろうとしてんじゃないかとおもう。
そうすると探偵にとって死ってなんだろうなって問いもでてきますけど、ポワロなんかは死をひきうけましたよね。裁きとして。ホームズはどうだったんだろう。古畑任三郎は。御手洗潔は。メルカトル鮎はでてきてすぐしんじゃうけれど。あ、これいっちゃいけないのか。
探偵ってふしぎなんですよね。ジェンダーも。最近NHKのBSでドラマ化された明智小五郎は満島ひかりさんがやってましたけど、違和感がないですよねべつに。もんだいがないっていうか。男性的であるひつようがないんだなあって。探偵は。
疎外されてるひとだから、男性的であるひつようがないんですね。女性的でなくてもいいし。
ひとりだから
『相棒』の右京さんがけっこんできてるのはタイトルが『相棒』だからじゃないかっておもうんですけど。まありこんしてますけど。

安福 ああ、なるほど。

柳本 『相棒』って『相棒』にリビドーをそそぐ物語じゃないかとおもって。タイトルってリビドーのそそぎかたを示すんだと思うんですよ。『古畑任三郎』なら、犯人が『古畑任三郎』にリビドーをそそぐし。
右京さんがみているのは、いつも相棒ですもんね。相棒のすがたですよね。

安福 リビドーがきちゃったかあ。


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安福望:古畑任三郎「殺人リハーサル」の回の絵

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柳本々々:古畑任三郎「殺人リハーサル」の回の絵

posted by 柳本々々 at 02:13| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする