秤には乗らぬ 不意の泪 小池孝一 僕には想像力がない。だから本当の事だけを書いて置こうと思う。
友達を大切にしなさい。と小学校に入学した日、先生は言った。友達を思いやる心を大切にしなさい。そんなお説教に関係なく、その日から僕らはずっと友達だった。タカノリ君が、ダイちゃん、いっしょに帰ろうよ、と言ってくれたのだった。その道は学校指定の通学路とは違うから、悪いことをしているんじゃないか、怒られるんじゃないかとびくびくしながら、二人で歩いた。ずっと、二人で歩いて、笑った。
「どこまで本気? ユカワの珍発明」とニュースでやっていた。
僕らはよくケンカをした。たいてい僕がわがままを言って、泣き出すのだった。タカノリ君のばか。タカノリ君なんてきらいだ。そして家に帰ってからしばらくすると、タカノリ君が訪ねてくるのだった。ダイちゃーん、宿題教えて。僕はうん、いいよ、と言って、いつも宿題なんかせずに、フキノトウを採ったりしていた。タカノリ君が味噌で炒めてくれて、それはおいしい、と思った。
せんそーごっこをした。これ、銃にしようよ。とタカノリ君は木切れを持ってきて、二人で撃ち合うのだった。だけど途中から、エイリアンやら祟り神さまなどが攻めてきて、二人は共同戦線を張るうちに、何が何だかわからなくなってしまうのだった。たのしいなあ、とタカノリ君は言った。楽しいね、と僕は言った。
「湯川氏の発明、新時代を拓くか」とニュースでやっていた。
友達を思いやりなさい。友達を思いやる想像力が大切です。と先生は言った。その日、タカノリ君と最後のケンカをした。僕がいつものように、タカノリ君のばか。と泣き叫ぶと、タカノリ君はすこし考えて、そうか、おれはやっぱり、ばかなんだな。と呟いた。僕が私立中学への進学を決めた日だった。それから、二人で帰ることはなくなった。
中学では「想像力」のテストがあった。どれだけ他人のことを思いやれるか、想像力に点数が付けられて、評価を下されるのだった。僕は学年中最下位だった。当然だと思った。タカノリ君の気持ちを、まったく思いやることができなかったのだから。僕はそのまま、落ちこぼれた。
タカノリ君とはいちど会った。駅前で、こわい愛郷服を着て、同じような格好の集団と、地面にしゃがんでいた。僕は、あ、タカノリ君。と声をかけた。リーダー格らしい男が、何だてめえ、と凄んできた。おいタカノリ。こいつ殴れ。タカノリ君は、僕の顔を殴った。とてもかなしそうな顔をして。僕にはタカノリ君の気持ちがわからない。僕には想像力がやっぱりないんだ、と思った。僕はいつか、泣くことができなくなっていた。
「湯川博士の発明、いよいよ実現へ」とニュースでやっていた。
厭な時代になっていた。戦争をしているような戦争をしていないような、そもそも戦争というものが何だかわからなくなってしまっていた。僕らのせんそーごっこのほうが、ずっとすっきりしていた。愛郷集団があちこちにできて、大きくなったり、消えたりした。誰もが荒廃していた。荒廃していたから、「愛」が叫ばれるようになった。人が人を思う、想像力が必要とされていた。
「人間の想像力は地球より重い」と、〈偉大なる湯川科学委員長様〉がテレビで言っていた。「今こそ、必要なのは想像力なのです。想像力のない人間には生きている資格がない。私は、人間の想像力と、地球の重さを比べる天秤を発明しました。われわれに必要なのは、想像力が地球よりも重い人間だけです。むろん、人間の自由は尊重されるべきです。秤に乗るのも乗らないのも、自由です。但し、天秤に乗ることを拒否した人間、そして当然ながら、地球より軽い人間は、今後一切、すべての人権を剥奪します」
公民館で、天秤に測られるのだった。同じ十八歳の若者で、建物はごった返していた。タカノリ君の顔も見たが、声はお互いかけなかった。天秤は清潔すぎる医療器具のようで、人ひとり乗れる皿が、白く鈍く丸みを帯びていた。それを見ているうちに、ああ駄目だ、と思った。僕には想像力がどうせない。僕は逃げた。人波に逆らって、僕は逃げた。学校指定の通学路ではない道を歩いていた。いつの間にか、タカノリ君が隣を歩いていた。
秤、乗らなかったの? と僕は訊いた。うん、とタカノリ君は答えた。何で。タカノリ君の想像力は地球よりきっと重いよ。あんなにせんそーごっこが上手かったじゃん。僕の気持ちを、誰よりもわかってくれたじゃん。
おれ、ばかだからよくわかんねえよ、とタカノリ君は照れくさそうに言った。
「でも、ダイちゃんがはかりに乗らないなら、おれも乗らないよ」
何で? タカノリ君のばか。僕にはタカノリ君の気持ちが、やっぱりわからないよ。僕には想像力がないから、やっぱりわからないよと言った。そして泪を一滴、こぼした。
ああ、これで僕はこの泪のぶんだけ、また地球より軽くなったな、とだけ思った。
(小池孝一さんの句は『川柳の仲間 旬』197号より)