2015年11月01日

「PEACH JOHN/兵頭全郎」を読む柳本々々

chapter01 鬼は修行を終えて海  兵頭全郎

今月のゲスト作品は全郎さんの「PEACH JOHN」でした。
この連作でわたしがかんがえてみたいのが、「chapter01」から始まっていて、「chapter02」で終わっているところなんです。
これが、まず面白いなっておもいました。

さいきん、グリーナウェイの『ザ・フォールズ』っていう映画を観なおしていたんですが、これも映画をチャプター志向でかんがえる映画っていうか、ともかく99人の鳥と飛行と墜落にとりつかれたひとびとがでてきて、その99人を辞書的に記述していく映画なんですね。だから、この映画は物語が記述をうむのではなく、記述が物語をうむ映画なんです。
もっといえばどこからはじまってもいいし、どこでおわってもいい。すべては記述なので。全体性としての、パッケージングとしての映画ではなくて、部分的な、チャプター志向の映画なんですよ。

で、この前郎さんの連作。句っていうのはひとつのチャプターになっているわけです。全体のなかのひとつのチャプターです。けれど、全体を知らなくてももちろん句ひとつだけでも意味は成り立つ。だから全体のなかの一部でありながら、その一部そのものが全体にもなっている。そうした句と全体の関連性がこのチャプターにはある。

で、もうひとつ。この連作の最後の句は、チャプター2で終わっているけれど、2もあるってことはチャプター3もあるかもしれないということですよね。4も5も。この連作の外部に。
ということは、この連作自体もひとつの〈チャプター〉なんだとかんがえることができます。つまり、連作がたくさん並んでいってまたひとつの全体ができあがるというような。そのなかのひとつとしての〈チャプター〉としての連作になっている。

で、連作ってなんなのかをあらためて考えてみた場合、そうした個と全体性のたえまない往還関係を創造することなんじゃないかっておもうんですね。それは決して閉じた閉鎖系としてのパッケージングではなくて、無数にあちこちが反射しあって細部からひらかれていくそういう複雑系とでもいえばいいんでしょうか。それが、連作なのではないか。いや、連作化する連作なのではないか(構造化する構造のような)。
そういう創造のしかたが連作の可能性としてあるのではないかとおもうんですね。

たとえばこの連作は〈桃太郎〉の気配にみちているけれど、でもタイトルは女性向け下着通販会社になっている。でもピーチジョンってなんだか和訳としては桃太郎のようなかんじもする。じゃあこの往還関係はどうなっているんだろう、とか。こういう往還関係がこの連作のなかになあちこちに仕込まれているようにおもう。

そういう往還関係をいかに個と全体性の関連性のなかで仕込んでいくか。それが連作には問われているようなきがするんですよ。
連作って、なんなのか。

桃剥いて桃の血を吸うカリキュラム  兵頭全郎

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posted by 柳本々々 at 19:11| 柳本々々・一句鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

PEACH JOHN    兵頭全郎


chapter01 鬼は修行を終えて海

洗濯機から飛び出した子を戻す

桃剥いて桃の血を吸うカリキュラム

密造◯次も密造◯配る

イヌ一歩 下げて首筋美しく

サル一瞥 枝握る手の傷深く

キジ一啼 薮の伴侶は知っている

chapter02 宅配業者立つ港



【ゲスト・兵頭全郎・プロフィール】
大阪在住。川柳結社ふらすこてん同人、川柳カード同人、川柳Leafメンバー。
twitter(@Zenro17)にて過去作品をBot配信中。


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posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 今月の作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スタア:200字川柳小説  川合大祐

誕生日は2月19日だった。子供向けの占星術書には「水瓶座。向いている職業、詩人」とあった。詩人になろうと決めた。それから長い時間、詩を書き続けた。人にいじめられた時も、人をいじめた時も詩を書き続けた。誰の目にも触れさせないまま、草稿だけが溜まっていった。歳を取ったある日、大人向けの占星術書に「2月19日。魚座。向いている職業、技師」とあった。詩をすべて焼いた。人生は詩のような物だったかもしれない。

  魚座からみても気高い水瓶座  一戸涼子(『川柳カード・9号』より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする