2011年1月1日発行の「Leaf」vol.3より。
ちなみに上部の画像は表紙ではなく扉絵。
「Leaf」誌は清水かおり、畑美樹、兵頭全郎、吉澤久良の4人が立ちあげた柳誌。掲出句は、メンバーの作品欄とは別枠の「共詠4 plus 1」より引いた。plus 1というのは、メンバー4人に加えて湊圭史がゲスト参加しているという意味だ。この共詠欄では、「消失」というテーマで5人が5句ずつ提出しあい、鑑賞文を掲載している。
掲出句は、初見から非常に興味をおぼえた作品。それにもかかわらずこの約5年間、イメージが定まらないままに、素性の分からないままに付き合ってきた不思議な句だ。以下、わたしの中で掲出句がどのように変転してきたのか、その道のりを思い起こしながら書き綴ってみようと思う。
まず、「速贄」の意味をどう捉えればいいのか迷った。
「速贄」には、〈百舌の速贄〉と〈初物の供え物〉という二通りの意味がある。わたしは最初、それを〈百舌の速贄〉の意味で捉えてみた。さらに「僕たち」という一人称複数から、青年もしくは少年たちが〈百舌の速贄〉として串刺しにされ、肢がだらんと垂れている光景をイメージした。それは、次の短歌がわたしの脳裏に焼き付いていたため、自然に類推されたのだと思う。
棒高跳の年天【そら】につき刺さる一瞬のみづみづしき罰を 恂{邦雄『日本人靈歌』
火の剣のごとき夕陽に跳躍の青年一瞬血ぬられて飛ぶ 春日井建『未青年』
恂{と春日井の短歌に通底するのは、青年の跳躍する一瞬に〈死〉を重ねる感覚であり、また躍動する青年の生や肉体が罰せられる感覚だと思うが、わたしはこの二首を見るたびに「聖セバスチャンの殉教図」を連想する。それは、木や柱に縛られた青年に数本の矢が刺さっている場景で、多くの画家によって描かれている。
「聖セバスチャンの殉教」へ連想がいたったとき、「速贄」を〈供え物〉の意味で捉えるのも捨てがたくなってきた。〈殉教〉も〈供え物〉も、神に命を捧げる点で宗教的だ。清水の句を恂{や春日井、聖セバスチャンの系譜で鑑賞するとしたら、〈初物の供え物〉の方向性だってありうる。
〈初物の供え物〉が神に差し出される、というイメージは、わたしに次の俳句を思い出させた。
百合鷗少年をさし出しにゆく 飯島晴子『朱田』
上掲句について飯島晴子はこんなふうに書いている。
この句が出来上がったとき、私は今から約四百年の昔、イエズス会の宣教師に連れられてヨーロッパへ渡った天正少年使節を思い出した。しかし決してあの九州の少年達を描いたのではない。
具体的な場面の選択は読者にまかせて、ただ、華やかな傷ましさへの嗜好が出ていればよいのだが──。
『飯島晴子読本』(富士見書房)
「速贄」を〈百舌の速贄〉とするにせよ、〈初物の供え物〉とするにせよ、わたしのばあいどこか〈天〉のイメージにつながっていくようだ。そういえば、平成22(2010)年、第二回木馬川柳大会・吉澤久良選「ひらく」の特選になった清水の句は、「モーゼの海を渡りゆく思惟 一羽」という〈天〉に関わる句だった。
このような経緯で、「速贄」の意味がどっちつかずなまま掲出句を愛誦しつづけていた。伝達が目的の散文と違い、短詩では〈意味は分からないけど惹きつけられる〉という次元があるかと思う。わたしにとって掲出句は、まさにそんな感じだった。
ところが、そんな不透明な状態にも転機が訪れた。それは、「肢」という漢字に注目したのがきっかけだ。そのときから俄然、「速贄」を〈初物の供え物〉と解する方向に固まっていった。というのも、「足」「脚」「肢」には一応の使い分けがあるようで、そのばあい「肢」は哺乳動物に多く用いるというのだ(大辞林 第三版の解説)。恥ずかしながら、「肢」の使い分けを意識したことは全くなかった。
「肢」を哺乳動物の〈あし〉と捉えてみたとき、「速贄」は神に捧げられる純潔の羊や牛、すなわち〈初物の供え物〉とするのが理屈だと思えるようになった次第だ。
哺乳動物の供え物、という風習に触れたことがなく少々イメージをしにくかったので、『旧約聖書』に出てくる燔祭を想いうかべてみた。アブラハムが神への生贄として、わが子イサクを捧げようとした「イサクの燔祭」は有名だ。
しかし──と、次からつぎに別の疑問が生じてくる句なのだが──〈供え物の僕ら〉の意識が自分たちの「あらわなる肢」に向けられているのは、どんな意味があるのだろうか。そこで躓いてしまった。かりに生贄の動物が肢を縛られている様だとしたら、少々情緒に欠けてしまう。
そこで、何か手掛かりがつかめないものかと句の構造を見てみた。「速贄の僕らのあらわなる肢よ」というふうに、助詞や形容動詞で言葉がつながれながら「肢」に向かっていく。そして最後は助詞の「よ」によって、意識が「肢」に固定される。読み手の印象が「あらわなる肢」に誘導される構造である。
傷ましく、逃れようのない「速贄」の状態にありながら「あらわなる肢」に意識を向け、同時にそれを誇示するかのような「僕ら」。
こうした非動物的な自意識に気づいたとき、哺乳動物であるはずの「僕ら」は、人間の少年の「僕ら」として再構築された。これが特殊撮影であるなら、毛むくじゃらの哺乳動物たちが徐々に人間の少年と二重写しになり、やがて完全に人間となる感じだろうか。そして画面に映し出されるのは、まるで石膏像のようにすべすべした〈あらわなる脚〉である。
このとき、速贄の僕らの〈あらわなる脚〉は、生贄の精神性や肉体性や文化性を抜き取られて〈オブジェ〉となった。このように見なせば、共詠テーマの「消失」とも符合する。そして、そのような〈オブジェ〉化は、まるで西洋絵画の中に少年がはめ込まれたような次の歌と通じるかも知れない。
少年は少年とねむるうす青き水仙の葉のごとくならびて 葛原妙子『原牛』
〈オブジェ〉として鑑賞すればよい、と思い至ったとき、〈意味は分からないけど惹きつけられる〉という地点に還った気がする。
*
ここにいたるまで、連想に連想を重ねて相当な回り道をしてきた。しかも、串刺しになった少年・青年のイメージが消えたわけではない。この句に触れるたび、おのずとそのイメージが浮かんでくる。自分の固定観念の強さにはなんとも驚くばかりである。
言葉は伝達性の機能ばかりでなく、蓄積性・アーカイブズ性の機能もあわせもつ。だから、句語やテクストの全体が、神話や伝説、古典文学といった歴史性を呼び起こすことがある。清水の速贄の句から先行する事物に連想が飛んだのも、そのような言葉の機能が十全に発揮される要素をそなえた句だからかも知れない。少なくともわたしという鑑賞者にとってはそう思える。
今こうしてこの文章を書いているあいまにも、掲出句は醗酵しつづけている。
少年の裸は白いエジプト忌 石部明「バックストローク」33号