川柳杜人 2016春 249号
発行人 山河舞句
編集人 広瀬ちえみ
【同人作品】
伸びきったゴムになったらわかること 須川柊子
どうしたのどうしたのと問う後ろ手が 佐藤みさ子
水平線から葬儀屋が顔を出す 都築裕孝
解放区で傘の雫を切っている 宮本めぐみ
着地する少し湿っているけれど 広瀬ちえみ
Eメール届かぬ静かな鳥の群れ 大和田八千代
【杜人集】
ざっくりと混じり秘かに発酵す 橋本あつ子
更新が無い人間の免許証 たちばな五雲
代走の足が探っている伏せ字 青砥和子
小林一茶トースト一枚では足りぬ 草地豊子
スリッパの音立てて行く他人たち 柴田夕起子
今号の柳論は、「印象吟句会銀河」代表の島田駱舟さんによる「斬るは易し ──メディア川柳について──」と、「びわこ番傘」会員の竹井紫乙さんによる「眼差しと衝動 ──杜人同人作品の鑑賞──」である。
島田さんの小論は、「サラ川などのメディア川柳作家を何とか吟社川柳の世界に取り込みたい」という、全日本川柳協会(日川協)において出た議論をきっかけにして、吟社川柳は言葉遊びや駄洒落とどう向き合うべきかを論じている。
わたしはメディア川柳について世間一般と同じくらい、もしくはそれ以下の情報しか持っておらず、また日川協とも関わりのない場所で川柳を書いているので、ただただ好奇心のまま島田さんの書かれた情報と論理を読み進めた。わたしが言うのもおこがましいが、言葉遊びや駄洒落への見解においてたいへん筋の通った小論だったと思う。
ちなみに、これは島田さんの議論とは関係のない余談なのだけれど、わたしは短詩型の書き手として、「お〜いお茶」の俳句やかつての「ケータイ短歌」に敵意をもったことは一度もない。脅威に感じたこともない。むしろ、その中にオモシロい表現があれば参考にしたいくらいで。
おかげさまで「歌人集団かばんの会」は、年々会員が増えている。現代川柳というジャンルも、現役で働いている世代に知られるようになってきたと感じている。これは言ってみれば、未知の方々から多くの刺激をいただけるということで、いつも希望に胸をふくらませている。メディア短詩への敵意や脅威を感じないのは、今のわたしの創作環境が恵まれているということなのかも知れない。
いっぽう竹井紫乙さんのほうは、「杜人」誌の243号から248号に掲載された同人作品720句から作品を抽出し、鑑賞文を書いている。広瀬ちえみさんの後記に「佐藤みさ子作品の世界を力強い筆致で展開している」とあるのだが、竹井さんは「同人十二名中、私が最も強く句を書く衝動を感じたのが佐藤みさ子さんだった。兎に角、恐ろしい」と書いている。竹井さんがみさ子作品を鑑賞したくだりを少し引用してみよう。
何処から来たの何処へ行くのと尋ね合う
どうしてこの、挨拶しているだけの句に恐怖してしまうのか。これはただの決まり文句ではなく、お互いを縛り合う呪文だからだ。あなたを自由になんか、させないよという。
だからみさ子さんにこの質問をされたらきっと、私は行き先をごまかして嘘をついてしまうだろう。すぐに見透かされる嘘だとしても。そしてその嘘が、私の川柳になるのかもしれない。
わたしはつい先日、明け方にごみを出しに行ったとき、ご近所さんとばったりお会いして、こう言われた。
「いつも早朝にお会いしますね」
「え?朝早くお会いしたことなどありましたっけ」
「わたし、いつも早朝はこのへんをランニングしているもので、あなたのことをよくお見かけするのですよ」
ご近所さんに他意などなく単なる挨拶だったのだろうが、あなたの行動をいつも見ていますよ、というなにか呪縛されているような、薄気味わるい心地がして、ゾクリとしたものだ。
なお、「杜人」は次号で創刊250号を迎える。川柳杜人社の創立が昭和22年であることを考えると、本当に頭の下がるおもいだ。
川柳杜人社