2016年06月07日

「川柳びわこ」第636号

川柳びわこ 2016.6 第636号
発行 笠川嘉一
編集 徳永政二
毎月1日発行

【びわこ近詠・小梶忠雄選】
何でやねん何でやねんと日が暮れる  高野久美子
抜け殻の体と食べられる体  竹井紫乙
俎板の上の気がして目がさめる  川村美栄子
謹んでなってしまったカリフラワー  竹内歌子
水かきがあった時代を思い出す  金子純子
付け足したところが朝に消えている  月波与生
だんだんと神と会話をする手帳  熊木 順
菜の花の黄色 飛車など打ってみる  重森恒雄
なんでやろなあが四月にひっかかる  峯 裕見子
その奥のまたその奥のぼんやりと  徳永政二

今回取り上げる「川柳びわこ」は、滋賀県の「びわこ番傘川柳会」が発行している。以前から同誌は、番傘系の中では少々作風が変わっていると聞いていた。先日の川柳フリマで編集人の徳永政二さんから伺ったのだけど、時実新子さんの教えを受けていた方も少なくないという。その意味でハイブリッドな作風といえそうだ。

今回は80人以上の近詠欄の中より10句だけ引用させていただいた。
特に注目したのは次の作品。

なんでやろなあが四月にひっかかる  峯 裕見子

ここでの「なんでやろなあ」は名詞的に用いられており、一般的な使用法からズレている。そのズレに脱散文性があり、見どころになっている。ちなみに、以下の作品も接続詞や副詞が名詞的に用いられている。

「けれども」がぼうぼうぼうと建っている  佐藤みさ子『呼びにゆく』
コソコソを煮るスクランブル交差点  兵頭全郎『n≠0 PROTOTYPE』

通常の使用法を誰もが知っているからこそ、ここでの「なんでやろなあ」「けれども」「コソコソ」が〈表現〉として立ちあがり、興趣につながっていく。

ちなみにわたしは、このような修辞が出てきたばあい、〈なんでやろなあと同類のモノ〉〈けれどもと同類のモノ〉〈コソコソと同類のモノ〉とそれぞれ置き換え、抽象的な意味につなげている。比喩を読む要領に似ているといえばいいだろうか。
もっとも読みのさなかでは、いちいち理性で〈◯◯と同類のモノ〉なんて変換はしたりせず、「なんでやろなあ」の質感をそのまま体感して抽象的な意味につなげている。その意味ではオノマトペを味わう要領に似ているともいえそうだ。


さて、「川柳びわこ」には「句集紹介」のページがある。今回は川瀬晶子著『アンドロイドA』から28句が取り上げられている。

死ぬとか死なぬとかうどん屋の隅で  川瀬晶子
25時背中のプラグ抜き棚へ

最後に面白いなと思ったことを述べると、句会報に通常の句会と婦人部句会の両方が掲載されていたことだ。婦人部≠ェあるグループはわりと珍しい気がする(わたしが知らないだけ?)。

川柳びわこHP
全日本川柳協会HPのびわこ番傘川柳会

posted by 飯島章友 at 06:00| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする