2016年10月31日

川柳雑誌「風」102号

川柳雑誌「風」102号
編集・発行 佐藤美文

 十四字詩【風鐸抄】
画像処理して明日を楽しむ  伊藤三十六
団子虫から届く挑戦  武智三成
本拠を叩きテロの蔓延  大城戸紀子
シャワーで流す鱗いろいろ  井手ゆう子
監視カメラよ正義ぶるなよ  藤田誠
踊り場にある考える椅子  茂木かをる
差別と区別雲の形に  佐藤美文

今号は「第17回風鐸賞」が発表されている。
正賞は井手ゆう子と林マサ子の二名。
選考委員は木本朱夏・雫石隆子・新家完司・津田暹・成田孤舟。
同賞は十七字と十四字の両方を募っているのだが、今回はどちらも十四字詩が受賞した。

以下、各十句からなる受賞作品より一句だけ引用。

ほっこりと煮る好きな言の葉  井手ゆう子
マグリットからもらう雨傘  林マサ子

雫石隆子さんの選評には次のようなくだりがあった。

今回はつらつらと重ねて読んでも、これといって推したい作品との出合いはなかった。個性の際立つものを、多少粗削りだったり、たどたどしくても採りたいと臨んだが出合えず、これは「風」の作品のパターン化してしまったと言うことだろうか、と思ったりもした。みんな及第点のお利口さんでは困ってしまう。もう瞠目するような十七音字、十四音字の作品には出合えないのでは、と危惧したり心細くなったりもした。

パターン化、及第点のお利口さん──まあ、わたしなどはそもそもパターンが身についていないし、及第点に届くコツすら分かっていないのだからどうするよ、てな感じです。

ただ、雫石さんの言葉は、選考委員にそのまま返ってくる厳しい言葉でもあるんだなあ、と。なぜといって、パターンを打ち破る新鮮な句と出合ったばあい、評者の側にそれを受け止めるだけの見識と感受性がなければ評価すらできないからだ。パターンを打ち破っている作品であれば、当然、既存の川柳におさまらない表現方法や言葉選び、韻律が含まれている。そして、おそらくそれは、他分野とクロスオーバーしている可能性が高い。寺山修司がそのいい例。

かりにそうであるならば、川柳の選考委員は、短歌や俳句、現代詩など、他分野の表現法にも広く浅くアンテナを張っておく必要がある。じぶんと同年代の新聞投稿者の作品ばかりでなく、結社や同人で活躍している若手歌人・若手俳人にもだ。また、新聞の政治社会面やテレビの報道番組ばかりでなく、いやかも知れないけどネットのSNSやテレビのバラエティー番組など、何にでも目を向けておかなくてはいけないだろう。

短歌の新人賞が発表され選考座談会が掲載された後、それについて若い歌人と雑談することがあるのだけど、彼らはきちんと選考委員を分析している。どれくらい時代を捉えられているのかということを。

そう考えると川柳の選考委員の方々はとってもたいへんだ。いや、どんなジャンルであっても選考委員はたいへんだ。雫石隆子さんの批評からそんなことを考えた。

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2016年10月30日

なんそう:200字俳句小説  川合大祐

★やまだいっかをすくうため、はちにんのさむらいがあつまりました★さむらいは、みんなとしをとっていたので、ひざのいたみになやんでいました★わけても、なんこつのすりへりかたがひどいさむらいは、とおりすがりのたにんにだいへんをたのみました★そのひとは、うちきでした★「ぶるーす・りー」といっしょならいいよ、といいました★しかし、りーというひとはしんでいました★やまだけはほろびました★かんたんなどうわです。

  仁★義★礼★智★信★厳★勇★怪鳥音  小津夜景(『フラワーズ・カンフー』より)

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2016年10月26日

ゲスト作品「アーケードのある」をよむ


平日へ牽制球を投げまくり

魔方陣だらけやないか商店街

あっち向いてホイが強いな矢印は

平日に向かって牽制球を投げることが出来る、商店街の魔方陣につっこみをいれることが出来る、矢印の強さに文句を言うことが出来る。これって実はなかなか難しい事だと思う。気負い過ぎることも無く、かといって毎日の中で自分を擦り減らしたりはしない。一線はちゃんと守る。そしてその絶妙なバランス感覚があるからこそ、溶け出した角砂糖が消えてしまう前に、まさにその一瞬にきちんと目を止め、まばたきなどせずに見つめることが出来るのだ。

角砂糖溶けるまでまばたきしない


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2016年10月23日

小津夜景句集『フラワーズ・カンフー』発売

Flowers' Kung-fu.JPG

小津夜景さんの句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂)が刊行されました。小津さんには川柳スープレックスの記事にたびたびご登場いただいています。

俳句作品ではありますが、小津さんの措辞・音感・言葉選びには他分野とのクロスオーバーを感じます。特に短歌からの影響を強く感じるのですね。短歌をずっと創りつづけてきたわたしではありますが、小津さんの句を読んでいると、いつしか短歌を鑑賞するときの脳モードになっているのです。こういう感覚は、俳句では小津さんの句が初めてだと思います。まあそれくらい、短歌と俳句は使う脳の領域が違う気がする。

冬苺ところとときのふたなりに
風の死をゆだねられたる腕となる
朱に染まるほぞに残花をふらせよう
ゆふぐれをさぐりさゆらぐシガレエテ
ほろほろとはらわた崩ゆる夏の月


314句の俳句のほかに15首の短歌も収められています。やはり短歌からの影響があるのでしょうか。

この指は音叉でせうか音叉とは抱きあへない木霊でせうか
片肺をねぢれたつばさかと思ひねぼけまなこで開かうとした


わたしが現代川柳を始めたのは2009年なのだけど、もしそのころ小津夜景さんの作品と出合っていたら俳句に行っていた、かもしれない。

ふらんす堂オンラインショップ

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オクトーバー・ソング:200字川柳小説  川合大祐

蛸は九本足である、と主張する幼馴染みがいて、その点にだけは困っている。「だから」と言う。「二匹いれば九本掛ける二で、十八本でしょ。十八と言えばもう大人。選挙権もあることだし」。それに反論しようとして、蛸が山国にはなかなか住んでいないことに気づいた。だから憶測でものを言うしかない。「九というのは」おそらくアストロ球団の事が頭にあったのだろう。「揃わない数なんだ」。説得力はないが、蛸は十七本足の筈だ。

  たこはまだ18でした青い空  酒井かがり(「川柳北田辺」73号より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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