2016年11月27日

一少年:200字川柳小説  川合大祐

少年の町には舟が舫われていた。まだ幼児だったころ、連綿と繋がる舟の中で、その一隻だけを見るため、よく家を脱け出して、怒られていた。幼児から少年に変わるころ、舟は少しずつ港を出てゆき(補陀落に行ったのかもしれない)、町は若者からいなくなり、海風のなかで、少年はその一隻を見ていた。舷のこの曲線が、ゆっくりと腐食してゆく。何て切ない、そして誘惑に満ちた姿なのだろう。大人になる頃、舟は車で運ばれていった。

  エロチシズム 小さな舟は出て行った  定金冬二(『一老人』より)
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2016年11月20日

重力の桃:200字川柳小説  川合大祐

桃は地球である。言うまでもないことだが、桃が巨大な惑星だと言いたいのではない。桃は桃である。ニシザワ食彩館御園店産地直卸しコーナー唐木猪四郎さん産のラベルを貼られた桃である。そうでなければ「それ」を桃と呼ぶことはできないだろう。桃は地球ではない。ゆえに桃は地球であるという定理が成立する。桃=地球であるとして、地球の重力に引かれ落ちてゆく桃は自己矛盾ではないのか。従って桃は存在しない。地球と同じに。

  今年一度も桃に触れずに秋がくる  高橋かづき(「川柳びわこ」2016年11月号より)
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2016年11月15日

★11月23日は東京文フリ★

11月23日は東京文フリ★『俳句と超短編』vol.4 (編集 櫛木千尋)、出品されます。

「実」をお題に、500字の超短編と俳句。他の企画もたのしいです。



会場は東京流通センター(第二展示場)、東京モノレール「流通センター駅」徒歩1分です。

『俳句と超短編』vol.4は、2階Fホール ブース番号【ウー69】です。


↓ブース配置図

http://bunfree.net/?tokyo_bun23#l18




★『俳句と超短編』vol.4   甘い果実 苦い果実


【内容】

超短編+俳句「実」〜甘い果実 苦い果実

 江口ちかる 小川楓子 海音寺ジョー 櫛木千尋

 国東 タカスギシンタロ 鳥栖なおこ とみいえひろこ

 根多加良 はやみかつとし 笛地静恵 堀田季何 

 ミカヅキカゲリ 三澤達世 牟礼鯨 吉井力


評論 森見登美彦『宵山万華鏡』を超短編として読む 小野塚力


俳句から超短編へ/超短編から俳句へ4 高山羽根子 榮猿丸


出会いもの俳句4「《伯爵領》殺人事件」笛地静恵


句会レポート
投稿作品選評

執筆者プロフィール



また、恥ずかしながら★同じく会場2階の、ブース番号【イー63】小説の同人誌にも、参加しました。める變10句とゴジラ抄5句です。ブルーの表紙です。



ゴジラ抄 江口ちかる

哀しくて燃え残っているゴジラの目

一筆書きで泡だててゆくゴジラ

キャラメル包みの黄ゴジラ届く

雪平鍋に肩までつかっているゴジラ

南南東からそっとゴジラに背負われる





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2016年11月13日

太陽の帝国:200字川柳小説  川合大祐

フーコー的見地からいえば、病室に窓があるのはしごくもっともなことの一つであった。そしてこの病室には窓がないのだった。そして楽士の彼は看護師らの監視をかいくぐり、窓を目指した。廊下はがらんとして、何の物音も、やはり窓もなかった。時に場違いなほど朗らかな嬌声が聞こえてきたのは、彼の錯聴だったのだろう。やがて階段を昇り続け、機械音の唸る鉄扉の前に立った。最終的入口。開けると、眼の下に地球が浮かんでいた。

  バラード 空から降って来る楽器  丸山健三(「川柳の仲間 旬」No.208 より)
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2016年11月09日

【ゲスト作品を読む】竹内ゆみこを読む柳本々々


それらしいものがようやく生えてくる  竹内ゆみこ

この竹内さんの連作はぼんやりしたものなかに生えてくる〈たしかさ〉の力学なんじゃないかっておもうんですね。

「それらしいもの」というぼんやりしたものがしっかりしたかたちで「生えてくる」。

ここには、あいまいさが「生える」という動きを与えられることでたしかさを手に入れるというプロセスがあります。

でも、考えてみると、連作のタイトルの「しりとり」ってそういうことじゃないかとおもいませんか。

わたしたちはぼんやり「しりとり」をはじめる。ぼんやりことばを続けながらも、あるたしかさがつながっていくことを感じてしまう。でもただ言葉がにていただけでつながっていくしりとりはなんのイメージもむすびません。「それらしい」ものでしかないのです。どれだけくりかえしても。

きっといい人ね端までやわらかい  竹内ゆみこ

そのぼんやりしたやわらかさのなかにやさしさがあるし、厳しさもある。「いい人」もいれば、「あなたでもなかった」ひともいる。

あなたでもなかった しりとりは続く  竹内ゆみこ

ぼんやりはやさしくて、きびしいんです。ぼんやりは、実はとってもはっきりしたものだから。ぼんやりはわたしたちをさまざまな世界に仮想的に連れ去って、価値観をそのつどたしかめさせるから。いいわるいも、あなただあなたじゃないもそうゆうことですね。

人生とおなじように、ぼんやりもつづくんです。長いぼんやりの航海が。ぼんやりはひとつの〈決意〉ですから。

うたた寝の長さよ戸籍謄本よ  竹内ゆみこ



posted by 柳本々々 at 21:18| 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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