川裸木(らぎ)4 を読みました。
ほんとうはとうに読んでいたのに、書くのがおそくなりました。編集・発行は、いわさき楊子さん。若草色というよりはもうすこしやわらかい、アヴォカド色の表紙に、よりそう二本の線が地から天にのびるように、すーっと引かれています。「らぎ」という音がいいです。年一回の発行とのこと。
目次より。
■ 同人句
お茶会 樹萄らき
母と私と母 久保山藍夏
みていますとんでます 阪本ちえこ
腕の中 北村あじさい
ひょいと いわさき楊子
三ツ目の信号 上村千寿
雨天決行 川合大祐
■「川柳裸木」4 鑑賞 田川ひろ子
■「川柳裸木」4 交換柳読
藍夏→大祐 <雨天決行>を読む
大祐→藍夏 <母と私と母>を読む
千寿→楊子 <ひょいと>を読む
楊子→千寿 <三ツ目の信号>を読む
■@くまもとメール川柳倶楽部@ 掲示板
■後記読みのページが充実しています。
鑑賞は毎回他ジャンルのひとに依頼されているとか。
交換柳読は今号の試みとのことで、同人が互いに作品を鑑賞しています。
「交換柳読」ということば、いいですね。
作品とあわせて、作者の読みのコトバにふれることが興味深かったです。
また、@くまもとメール川柳倶楽部@は、メー川(略称 めーせん)という活動への参加者で、「川柳裸木」に参加していない方の自選10句を掲載。
メー川では、月2回自由句2句とコメントのやりとりをしていて、100回を超えられたとのこと。たのしそうですね。
以下、同人作品から、感想を書いてみました。
いっせいにあそびつくせよ曼珠沙華 樹萄らき「いっせいにあそびつくせよ」という命令形がすてきです。地上の曼珠沙華がいっせいに遊ぶさまを想像せよ、なのです。視覚的にもおもしろくて、ひらがなと、画数の多い漢字のならびが絵のよう。縦長の紙の底に赤い曼珠沙華が咲いていて、細い花弁がほどけ天へのぼるさなかで「い」「っ」「せ」「い」「に」「あ」「そ」「び」「つ」「く」「せ」「よ」とやわらかなかたちになったもよう。
何を聞いたのか耳だけ囓りかけなにやらミステリアス。何かを聞いたひとと、耳を囓りかけたひとは同一人物か否か。また「耳を囓りかけ」でなく「耳だけ囓りかけ」とは?他の部位はしっかり齧ったのでしょうか?(と、考えると黒い笑いが・・・・・・・)耳だけを、しかも囓るでもなく、囓りかけただけで、誰かがいなくなった。囓られようとしたときに聞いたことばが、今は思い出せない、と、一種の恋情として読んでいます。
歩く度虹を残してゆく獣 久保山藍夏歩いてゆく、残してゆく、という時間の経過と継続があり、同時に圧倒的な刹那を感じます。虹も獣も永遠でないもの。虹の一瞬の鮮やかさ、獣のいのちの匂い。その場に居合わせたいと思わせる美しい景色です。
ぐるぐると住めばぐるぐるが伝染るこれは楽しい!ひとつめの「ぐるぐる」は固有名詞。ふたつめの「ぐるぐる」は抽象名詞で読みました。
言い訳をしている月が欠けている 坂本ちえことても好きな句です。「言い訳をしている」と感じる時間はながく感じられるもの。「月が欠けている」というのも時間の経過を表わしているのでしょうか。むしろわたしは「言い訳をしている」あるいは「言い訳をされている」と感じている憂い時間に、ふっと月がかけていることに意識がうつろう。その瞬間を切り取った句と思いました。
取り外し可能きちっともとのまま冷静に考えれば、冷蔵庫の製氷器の脱着のような、リアルの句かもしれません。でも一読したときに、ひえ!おもしろい!となったのは、シュールな景が浮かんだからです。ココロを取り出して、記憶を塗り替えて、きちっともとに戻す。あるいは町を取り外して、またはめこむ。おもしろいです。
あちこちで卑弥呼の歩く影を見る 北村あじさい卑弥呼が歩くのを見るのではなくて、歩く影を見る。卑弥呼本体は見えないのですね。道路や壁に落ちる影法師という意味なのか、鏡像の影なのか。歩いて移動する像をうつすサイズの水鏡やミラーがあちこちにあるとは考えづらいから、前者でしょうか。卑弥呼の影法師があちこちを歩いている。それを見ている。
あの日から西瓜を横に切っている いわさき楊子あの日に何があったのでしょう。西瓜を横に切る、というのは、水平に切るということでいいのでしょうか。五右衛門の斬鉄剣並の手さばき、カミワザです。西瓜を切るという日常をひょいと超えて、おもしろいです。そしてまた、あの日のことがすっぽり句の外側にあって、何のことだか不明なのがいいです。
夕顔のどれも視線をあわせないたおやかなやさしげな夕顔。よりそうように数多く咲いていることでしょうに、どれも目をあわせない。淡い寂寥感と、それでも目はあわせなくとも夕顔とひびきあうやさしさを感じます。
きぬかつぎつるり妹来るという「きぬかつぎつるり」というときの、指に残る独特の、あかるい快感。そのあかるさと、妹の来訪は、作者にとってつながるものがあるのでしょうか。作者固有の感覚がさらっと書かれていて好きです。
スマホ駆使して酸っぱくなってしまう 上村千寿酸っぱくなったのは、ひとですね?「スマホ駆使して」という言葉にユーモアを感じます。そして「酸っぱくなってしまう」とは、なんておもしろい言葉なんでしょう。スマホ駆使することと酸っぱくなることの因果関係は不明でいるのですが、この句を読んでから、「ああ、今酸っぱくなりかけている」と、自己分析時の分類がひとつ増えました。
道という道に千年後に生える 川合大祐生えてくるのは何なんでしょう。主語を省略して、おもしろいです。生えてくるのはニンゲンのような気がします。
強大な堀北真希が降りて来るすごくおもしろい!やさしげな堀北真希や、可憐なる堀北真希ではいけません。また強大な前田敦子やタベミカコや深田恭子(フカキョンはちょっとアリかな?)でもいけません。「強大な堀北真希」が無表情に(おそらくは巨大な頭部のみで)天から降りて来るに違いありません。