2017年06月29日

今月のゲスト作品を読む: モンスターボールに捕えられた僕  藤みのり

モンスターボールに捕えられた僕  藤みのり



モンスターボールを地球の部位にたとえて説明するなら、北半球が赤、南半球が白、赤道に黒いベルトを巻いて、その上にボタンがひとつついている。(他にもいろんなバージョンがあるらしい)
任天堂の『ポケットモンスター』のアイテムで、ポケモンを捕獲したり、移動時に収納するのに使う。捕獲の方法は、狙ったポケモンに投げること。あたればポケモンはボールにはいってしまう。

「僕」はモンスターボールに捕えれらた。ボールを投げたのは「君」なんだろう。
「モンスターボールに捕えられた僕」という状況のみを言って、その外のことは読む人が想像するわけだが、わたしには「僕」は甘美な思いを抱いているように思われる。
小さくなってすきなひとのかたわらに収納されたい。そんな感情は屈折なのだろうか、類型なのだろうか。(まぁシュリンカーとは別として考えたいのだけれど)

財津和夫が『心の旅』で
「もしも許されるなら眠りについた君をポケットにつめこんでそのままつれ去りたい」と歌ったとき(調べたら、昭和48年、なんだそうだ)こどもごごろにうっとりしたこと、
またテレビ版の「南くんの恋人」の、高校生の南くんと15センチの身長になってしまったちなみとのファンタジーも思い出された。

『心の旅』も『南くんの恋人』も縮小される(縮小をイメージされる)のは女性だけれども、この句では「僕」。
今の気分で読むと、それもまたナチュラルな感があった。


posted by 飯島章友 at 22:52| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月27日

「MANO」第20号

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「MANO」第二十号
編集発行人 樋口由紀子

きかんこんなんくいきのなかの「ん」  佐藤みさ子
人参と人間どっちが赤いのか 

空想のかたまりである赤チョーク  樋口由紀子
水飴をくれたおじさん公開捜査

礼拝が済んで帰っていった島  小池正博
里親は絵文字を焼いているばかり

大根おろしの背中を見て下さい  加藤久子
サ行変格活用じゃが芋の本音
空洞が煮詰まるコンビニのおでん
春先の揚げ出し豆腐になっている



加藤久子さん、佐藤みさ子さん、樋口由紀子さん、小池正博さんによる「MANO」第20号が、4月30日に発行されました。これをもって同人活動に幕を引くという。過去には倉本朝世さんと石部明さんも参加されていて、倉本さんは最初の編集人だったそうです。

「MANO」創刊は1998年5月25日。
創作意欲の旺盛な川柳人が集った「バックストローク」(2003年創刊/発行人 石部明/編集人 畑美樹)が創刊される5年前になる。その当時の川柳界のことはよく知らないけど、「MANO」→「バックストローク」という流れをつくったのかも知れない。

わたしなんかは98年当時、詩文芸にいっさい関わっていなかった。というよりむしろ、言葉を弄して訳の分からないことを書いている分野、として意識的に遠ざけていた(まあ今でも心の奥底には、そんな過去の残滓があるのですが)。

さて今号では、加藤久子さんの連作「顔」がお気に入りです。ご覧のように食べものがよく出てくる。自分、おなかがすいているのだろうか。短詩を読むときのコンディションが好みに影響をあたえることってあると思う。それにしても「春先の揚げ出し豆腐になっている」はいいなあ。

   ◇ ◇ ◇

「MANO」は散文もひじょうに充実している。今最終号の評論&エッセイは、小池正博「佐藤みさ子 ──虚無感とのたたかい」、佐藤みさ子「終わります」、加藤久子「Hisako's Window 落ちながら」、樋口由紀子「言葉そのものへの関心 鴇田智哉句集『凧と円柱』を読む」である。(どうでもいいことだけど、なぜか最初、樋口さんの評論を「お言葉そのものへの関心」と打ち間違えてしまった)

樋口由紀子さんの「言葉そのものへの関心」に惹きつけられた。
全体を読んでみると、樋口さんの文章はけっして体系的ではない。でも、それだからこそ、思考する人間の生々しさが感じられ、惹きつけられる。歌人には高学歴なひとも多いのだけど、ほぼ野比のび太を地でいく成績だったわたしなんかは、理詰めの文章にただただ怯んでしまうことがある。でも、樋口さんの文章を読むと、実際にお会いして「この部分はどういう意味なのでしょうか」とぐいぐい訊いてみたくなるのだ。

 今回、選をしていて、気になったのは散文調の川柳が全体的に増えていることである。実はこれは困った現象だと自戒を込めて思っている。だって、川柳は韻文の文芸である。散文と一線を引く覚悟がいるはずである。でも、散文調の川柳はわかりやすく、たしかに手っ取り早く、ひきつけられる。近年の大賞受賞作品〈ササキサンを軽くあやしてから眠る〉〈こんにゃくの素質も少しおありです〉のせいでもある。

月刊「おかじょうき」2015年1月号

上記は第19回杉野十佐一賞における樋口さんの選評だ。ここで樋口さんがいう「散文」「韻文」の意味がいまいちよく分からず、詳しく訊いてみたいとずっと思っている。「ササキサンを軽くあやしてから眠る」が散文調というのは何となく分かるけれども、ではそれは韻文とどのように違うのか。
また「こんにゃくの素質も少しおありです」は散文調なのだろうか。散文調には違いないけれど、散文のなかの語りかけ・会話体に近くないだろうか。「これ小判たつた一晩ゐてくれろ」(誹風柳多留)に近い語りかけ・会話体と感じられる。・・・なんかこう、頭がこんがらがってくる。だから樋口さんがいう「散文」「韻文」の意味をぐいぐい訊いてみたくなってしまう。

この最終号の評論でも「人参を並べておけば分かるなり  鴇田智哉」という俳句について樋口さんはこう書いている。

「人参」に季語感は全くなく、極端にいうと、季語であろうがなかろうがどちらでもよいと思わせるものが確信犯的に内在している。季語をはみ出す、季語では収まり切らないものに捉えられる。

「人参」に季語感がないことは分かる。ただ、近現代の俳句で「人参」が用いられるばあい、一般の言葉と区分けできるほどの差があるのだろうか。わたしの季語にかんする知識が白紙に近いからかも知れないけど、樋口さんの季語にたいする認識をぐいぐい訊いてみたくなる。

佐藤みさ子さんが今号のエッセイで言及しているのだけど、創刊号で樋口さんは「生きて有る事の不可解さ、不気味さ、奇妙さ、あいまいさなどを書けるのも川柳の特徴である。『川柳とは何なのか』という問いを考え、それに答えるために、『MANO』で作品と文章によって実証していこうと思っている」と書いたそうだ。不可解さ、不気味さ、奇妙さ、あいまいさ──これが川柳の特徴だとすれば、樋口さんの文章はじつに川柳的だ。分からなさがあるからこそ、わたしは惹きつけられてしまうのでしょうね。


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2017年06月25日

長編:200字川柳小説  川合大祐

若者よ、わしらが若い時分には王貞治という選手がおってのう。ホームランを三千本くらい打ったんじゃないか。王さんが打つ度に日本全国で花火があがって、パチンコは全台777になって、犬は喜び庭駆け回ったもんじゃよ。そんな王さんじゃが、手術前の子供に「僕のためにホームランを打って下さい」と言われ「いえ。本塁打というのは神に捧げる供物なのです。一本たりとも腐っていてはなりません」と答えたそうな。遠い記憶じゃ。

  「感動を与えたい」など花笑う  竹内美千代(「川柳の仲間 旬」第211号より)

posted by 川合大祐 at 00:00| Comment(0) | 川柳小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月14日

ファミコンソフト『サラダの国のトマト姫』(1984)と読むをめぐって 安福望×やぎもともともと

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柳本 短歌や俳句や川柳にときどきゲームをとりいれたものがあるけれど、たとえばドラゴンクエストだったら短歌は工藤吉生さん、俳句だったら外山一機さん、川柳だったらSinさんみたいに。
でももともとゲームってとっても文学に近いんじゃないかとはおもってるのね。
例えばファミコンソフトで『サラダの国のトマト姫』っていうのがあるんですけど、これはアドベンチャーゲームというか、〈読み物ゲーム〉なのね。テキストをどんどん読んで選択していくっていう。
ゲームって読み物なんだってことがすごくよくわかるとおもうんですよ。もうそれはファミコン初期からあったんだっていう。
つまり、文学少女や読書少年もゲームに入る余地があるぞっていう。
こういうのはあとでスーパーファミコンの『弟切草』とか『かまいたちの夜』としてもでてくるんですね。
小説しか読まないようなひとたち、とくにゲームをしない女の子たちが〈読み物ゲー〉があることで入ってきたんじゃないかっていうのは『弟切草』をやっている女の子をみてて昔おもったことがあるんですよ。なんていうのかな、プレイじゃなくて〈読む〉なんですよ。でも、この〈読む〉っていうのがドラゴンクエストとかファイナルファンタジーなんかもそうなんだけど、すごく大事で、読書家たちは意外とその点でゲームをやってたんじゃないか。わたしなんて、街のにんげん全員とかならず会話してましたもん。
だから小説好きとゲームって意外と親和性高いぞっていうのがあるとおもうんですよ。文学とゲームってそれほどかけはなれてないですよっていう。サラダの国がそれをおしえてくれた気がする。

安福 これ、ゲーム画面のコマンドみてみると、たたくとたたかうはべつなのかな? ほめるとかすてるとかあるんだなあ。ほめるってどういうことなんだ

柳本 そういう意味のわからない弁別がゲームにはあって。ゲームって過剰性なんですよね。とくに初期は。よくわからないもんをためこんでた。

安福 ここはセロリの森っていって、柿がたおれてるっていって、意味わからないなっておもった笑。意味わからなくてもゲームだからうけいれられるんですよね。ゲームの枠だと。
これ短歌といっしょだなあっておもった。なんか意味わかんないこといわれても短歌ですよっていわれたら
 
柳本 ああほんとですね。たぶんファミコンなんか制限がおおかったからじゃない。ちょっと定型だよねその意味では。
ゲームって境界が未熟なぶん、世界がゆたかだったんですよ。べつにサラダの国があってもいいよね、みたいな。あと、初期のファミコンはドットだったから、プレイヤーの想像力にゆだねられるぶん、こうこうこうです!っていわれたらもう「そうなっちゃう」のね。それがファミコンのよさでもあったとおもうけど。
ただ絵とかもそうだとおもう。絵の額のなかって限られてるじゃないですか。こうこうこうです!って絵としてバーンって提示されたら、受け入れるしかないじゃないですか。そうかあ、って。そういうのあるんじゃないかな。
世界を提示したらそのまんまうけいれるっていう。枠の世界観ってそういうものじゃない。写真も映画も。
やすふくさんて野菜をテーマにした絵だけをかいてるじゃないですか。

安福 いやぜんぜんそんなことないけど笑。そういえば木下さんの短歌を思い出した。

  ああサラダボウルにレタスレタスレタス終わらないんだもうねむいのに/木下龍也

これもひとつのサラダの国だ。

柳本 ゲームって初期からずっとわりとそういう〈なになに尽くし〉の世界観って感じだったんじゃないかな。『パロディウス』っていうシューティングゲームでも、ケーキのなかを弾をうってすすんでいく面があるのね。それは昔、大阪のイベントでやすふくさんが語ってたうる星やつらの巨大ケーキの世界観ともにてるとおもいますよ。

安福 いや語ってないですよ。やぎもとさんが説明してただけで。

柳本 なるほどなあ。そうですか。

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posted by 柳本々々 at 12:38| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

任天堂ゲーム『MOTHER』と歌うをめぐって 安福望×柳本もともと


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柳本 そういえば『マザー』ってゲーム、糸井重里さんがつくったゲームがあって、そのなかのまちのひとにはなしかけるとあるひとが、「おまえよくやったよなあ」っていってくれるんだけど。

安福 へー、それいいなあ。

柳本 たぶん『マザー』ってゲームは〈おまえよくやったよなあ〉ってゲームなんだとおもう。母親や父親が「よくいきたよねよくやったよ」っていってくれるゲーム。ちょっと岡野さんの短歌みたいだけど。
もちろんそのうらめんとして、それをいってくれないいきかたをえらんじゃうひとがでてくるんだけど。ギーグとかポーキーとかね。
だからそのいみではすごくあたたかくてすごくざんこくなゲームなんだけど。なきたくなるような。なんだかよくわかんない感情で泣きたくなるような。
マザーってよくいわれるけど、他人のアザーとかみひとえだもんね。
ラスボスが赤ちゃんなんだよ。

安福 えっ、そうなんだ。

柳本 だからそのあかちゃんがもとめてたことはたぶんたったひとつで、よくやったよなあおまえ、っていってくれるひとをみつけることだったんだとおもう

安福 なるほどなあ。

柳本 そういえばラスボスをうたうことでたおすんだよね。ちからじゃなくて。だから短歌とも無縁じゃないとおもうんだよ。

安福 えっ。へー

柳本 うたうってコマンドがきゅうにあらわれるのね。うたうことといのることで倒す。

安福 短歌ですね

柳本 そうそう。うたうといのるはにてるとこがあって、とどくかどうかわからないことだよね。魂の賭けというか。パンチはとどくから。チョップも。でも、うたうやいのるはとどくかどうかわからない。

安福 ほんとですね。わかんないね

柳本 ラスボスは宇宙人だからとどかないばあいもあるし。それでもひとってうたったりいのったりすることあるよね。だから短歌って、魂の賭けにちかいぶぶんがあるんじゃないかって。でも、おまえよくやったよなあ、っていってくれるひとがあらわれるばあいもあるのかもって。ずっとうたったりいのったりしてると。

安福 あんた、いろんなはなしするなあ。

柳本 ほんとだね笑

posted by 柳本々々 at 08:15| 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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