昨年(平成29年)の年末に『
風天 渥美清のうた』(森英介/大空出版)を読んだ。渥美清と俳句とのかかわりについて取材した一冊だ。渥美清が俳句をしていたことは知っていたが、彼の俳句作品については何も知らなかったので興味深く読んだ。諸事情で実現はしなかったものの、渥美清が種田山頭火を演じる話もあったそうだ。寅さんと山頭火。通じ合うところがありそうだ。
書名にもあるように、渥美清の俳号は風天。無論、フーテンの寅に由来する。彼は「話の特集句会」「トリの会」「アエラ句会」「たまご句会」など、愛好家中心の句会に参加していた。週刊誌「アエラ」の編集部に外部の人間も加えた「アエラ句会」では、定刻の三十分前に来て静かにじっとしていたという。また大船撮影所から間隙を縫ってタクシーを飛ばして来て、終わったらまたタクシーで撮影所へ戻っていったこともある。寡黙であり、みんなが飲酒しながらガヤガヤやっている部屋の隣で、ひとり壁に向かい想を練っていたとも。
風天が入選句を読みあげると、どんな駄句も名句に聞えたという。役者でも、朗読やナレーションが不得手なひとはいっぱいいるものだけど、渥美はテキ屋を手伝っていたこともあるし、「男はつらいよ」での口上・啖呵を想えば披講で座を魅了したことは容易に想像できる。
わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です
帝釈天で産湯をつかい、姓は車、名は寅次郎
人呼んでフーテンの寅と発します
四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い
四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れるお茶ノ水
粋な姐ちゃん立ちションベン
同書には、俳人の石寒太による「風天俳句全解説」も掲載されている。なので、俳句の門外漢であるわたしにも大変分かりやすかった。
つぎの十句はわたしが気に入った風天の作品。句が作られた年と月、それと句会名も記しておく。
コスモスひょろりふたおやもういない S48.8 話の特集句会
好きだからつよくぶつけた雪合戦 S48.11
いま暗殺されて鍋だけくつくつ S50.6
ひばり突き刺さるように麦のなか 〃
そば食らう歯のない婆や夜の駅 H4.11 アエラ句会
花びらの出て又入るや鯉の口 H5.3
乱歩読む窓のガラスに蝸牛 H6.6
お遍路が一列に行く虹の中 〃
だーれもいない虫籠のなかの胡瓜 H6.9 たまご句会
髪洗うわきの下や月明り H8.3
二句目の「好きだから〜」は、何かドラマのワンシーンを想わせる。実際わたしは、小学校を舞台にした田村正和主演の「うちの子にかぎって2」第9話で、まさにこのようなシーンがあったのを憶えている。主人公の少年がクラスメイトと雪合戦をしていたとき、彼がひそかに慕う少女へ雪玉を強くぶつけるシーンがあったのだ。
六句目の「花びらの〜」は、風天作品すべての中でもっとも描写力、あるいは写生力に優れた句だと思う。詠まれている状景はまったく違うが、「湧きいづる泉の水の盛りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる」
(窪田空穂『泉のほとり』)に劣らない眼の力を感じさせる。
七句目の「乱歩読む〜」は、力の抜き方が上手いなと思う。句会で採られるために意気込むと、乱歩という言葉からついつい耽美的な方向やおどろおどろしい方向へ展開してしまう危険もあるのだけど、この句では窓ガラスの「蝸牛」へさらりと視点を移している。風天作品の中でわたしがいちばん好きな句だ。
八句目「お遍路が〜」は、風天の代表句。2000年2月、『カラー版新日本大歳時記』(全五巻)の春の巻に掲載された。
十句目の「髪洗う〜」は、江戸時代の情緒とも通じるものがあるなと思った。たとえば、江戸時代の高点附句集『誹諧武玉川』の四篇には、「
洗髪脇の下から人を
呼」という句がある。ただし、この風天句が作られたのは、彼が最後の入退院を繰り返していた時期だという。それを知ると単なる情緒では終わらない。
「男はつらいよ」シリーズは、わたしが生まれる前から公開され、主に中高年が楽しみにしていたシリーズというイメージもあって、自分にはあまり関係のない映画なのかな、と感じていた。でも、年を重ねるごとにわたしも頭が柔軟になり、面白い作品なら古い・新しいに関わりなく観るようになった。寅さんの映画も折にふれ観かえしている。渥美清=風天の俳句を読んだ今、次に「男はつらいよ」を観るときは、きっと新しい楽しみ方ができる気がする。