2019年01月31日

杉野十佐一賞について

第23回杉野十佐一賞の結果がおかじょうき川柳社のホームページで発表されました。

 発表!第23回杉野十佐一賞「黒」

杉野十佐一賞の選者は、徳永政二さん、なかはられいこさん、樋口由紀子さん、広瀬ちえみさん、むさしさん、前年度大賞受賞者(今回は小林康浩さん)の6名です。かつては石部明さんも選者のおひとりでした。

わたし、杉野十佐一賞にだけは毎年応募することにしているんです。というのも、すでに現代川柳界で有名な方々が多数応募してくる賞だからです。それは、上記のリンク先にある応募者一覧を見ていただければ分かります。そんなわけで杉野十佐一賞は、わたしがいま最もお勧めする川柳賞であります。

ちなみに月刊「おかじょうき」1月号によると、今回大賞を受賞された吉松澄子さんは、あの柳人の御母堂様です(←すみません、テレビの浅見光彦シリーズが好きなもので)。
posted by 飯島章友 at 08:00| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月30日

杉倉 葉「流体のために」を読む

 たとえば、短詩型というモノ=コト=トキをひとつの、という「ひとつの」自体がすでに先触れとしてあるのだが、ひとつの断裂としてとらえること、絶え間ない〈何か〉の一部を切り取ったものであるという認識は可能であろうし、それは思いもかけぬ豊穣さを書き手=読み手=テクストに与えるであろうことは想像に難くないが、しかしそこで想定されている〈何か〉すなわち〈流れ〉とは別の〈流れ〉として、完璧に〈作者〉の統御下にあると見える作品の隙間から、それこそ何其れのように、と無限の類比を発生させる無意識、ないしはノイズが漏れ出してくることは当然あるだろうし、それこそが、いっそ奇蹟、と呼ぶべき作品なのだ。
 この「流体のために」が奇蹟の名にふさわしいかどうかは今は置いておき、一読して目を引くのは無論ドゥルーズのテクストを下敷きにした飛躍であり、詩的なうつくしさであることは疑いなく、そこに見られるのは、挙げるなら『差異と反復』という書名を流用しなお「差異と反復 裁断の」という一字空けによる「差異」から「裁断」への反復と裁断を表現した自己言及であり、またこの連作の八句目が『差異と反復』であるなら一句目は「流体として孕まれて」というやはりドゥルーズのコンテクストを指向した句であり、二句目の「暗殺」「コーヒーに落とす」には七句目の「暗い」「雨が、降っていた」が対応するだろうし、三句目の「無傷の翅」は六句目の「睡眠が祈られる」「好きなひと」のイノセンスと相通じるだろうし、四句目の「ひかりに」は五句目の「星」「あふれだしてゆく水銀」にイメージとして重なり合うと読むことが出来るのであり、すなわち、この連作は四ー五句目の間隙を折り線として、前半と後半が鏡のように対応しあっているのはまぎれもなく、作者の統御が作品を律していることの証左に他ならない。
 だがここまでは、作者の意識下と読むことは可能であるが、無意識下として作品を読むことは可能であろうか、という問い自体が、他者の意識を詮索出来ると確信している傲慢さでもあろうが、それでも作者の統御を放たれて飛翔する蝶が、いっそ奇蹟の名にふさわしいのではあるまいか、という断言もまた傲慢の謂であるが、しかし〈作者の統御〉にすべてを帰するには、ドゥルーズを引く作者に対しては、ある意味で礼を欠くことになりはしまいかという懼れもあり、それ以上に作品の魅力が、〈読み手〉であるわれわれに、このテクストに参加したいという欲動を統御不能とさせるのだった。

  たえまなく流体として孕まれて

 この句において、なにが選択され、なにが選択されなかったのかという問いは、ある地層まで有効であると思われるのは、「選択」という行為がひとつの「切断」であり、「流体」を切断することによって短詩型が成立するというのならば、この愚かにも見える問いにも何らかの意義はあると正当化はできるであろう。
 選択されたのは「たえまなく/流体/として/孕まれて」という、これ以上の分解も可能ではあるが、当座の目安として分子としておくパーツ群であり、この選択は、作品がこの型式で完成されている以上、揺るぎのない〈結果〉として読むことも当然ではあろうが、仮に作品が流体であるならば、〈結果〉という完結はあり得ないはずであり、読み手にとっては、この句のよって来たるところ、そしてこれからゆくところを、自然とイマジネートさせられてしまうのだ。
「たえまなく」はどこから来たのか?
「流体」はどこから来たのか?
「として」はどこから来たのか?
「孕まれて」はどこから来たのか?
 そして、彼女ら彼らはどこへ行くのか?
 そのいちいちの検証は今は手に余るし、それはあくまで〈私〉のひとつの読み方に過ぎず、だから〈正解さがし〉などというものが端から成立しないこの連作を前に、そのようなふるまいをするのは句が喜ばないだろう。
 ただ、句が読み手にこのような過剰と言ってもいい反応を引き出すということ。
 そのこと、だけをもってしても、この連作の存在意義はあると思うのだ。
 そして、それは〈読み手〉の存在意義を肯定する。
 そんな文芸が、ジャンルを問わず、この世にあるのだろうか?
 この見地から、この「流体のために」が〈奇蹟〉であるかどうか、〈読み手〉のひとりひとりがみずからの存在を賭けて立ち向かうべきテクストであると、私は断言する。
 呪わしくも輝かしかった(余言ながら、作者がまだ未生だった)八〇年代風の戯文、許されたい。
posted by 川合大祐 at 20:38| Comment(0) | 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月27日

定金冬二句集『一老人』

定金冬二句集『一老人』(2003年・詩遊社)
編者 倉本朝世

余所のピアノでボクは静かに風邪をひく
ぼくが倒れたのは引力のせいなのか
紙ヒコーキから落ちて 少年兵勃起
一老人 交尾の姿勢ならできる
ぼくのためにぼくがいて哀しみはふえる
軍事評論家のはるかなる風景画
頭が悪いので天皇にあいに行く
俺は 12月の風船なのか 神よ
かすかな期待で柩の蓋をする
神に手を合わすぼくにも手を合わす
一老人 風の割れ目で息をして
お祝いとして少年の瞳をもらう
てのひらの汚れをてのひらでぬぐう



倉本朝世編。「一枚の会」「新京都」「アトリエの会」「韻」「CIRCUS」「連衆」と「津山川柳大会」の発表誌を参考に、1984年〜1995年までの240句が選ばれている。これ以前、冬二には『無双』(1984年)という句集があり、そこには〈穴は掘れた死体を一つ創らねば〉など、1945年〜1983年までの1200句が収められている。ちなみに『無双』は、なかはられいこさんのブログ「そらとぶうさぎ」で閲覧することができる。

定金冬二(1914年〜1999年)の川柳には、作者の境涯から発せられる臭いをつよく感じる。だが、作者の境涯を素直に叙述しているということではない。冬二の川柳は作者の境涯から出発しつつも、川柳というステージで自身を演じている雰囲気がどこかある。それは、冬二と同じ年齢の歌人・山崎方代にも通じる雰囲気だ。こうなるともう、境涯派か言葉派かという分け方は意味がなくなってしまうかも知れない。

あざみエージェント『一老人』

posted by 飯島章友 at 11:56| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月12日

「川柳北田辺」第98回(2018・12月)

「川柳北田辺」第98回
発行人・編集人 竹下勲二朗

黄色から分母を借りて伏せなさい  亜蘭(兼題「伏せる」岡田幸男選)
真ん中を伏せ字にされて恥ずかしい  秀・きゅういち(  〃  )
ヨオッヨオッと火曜日の不燃物  智史(兼題「ヨオッ」宮井いずみ選)
肉じゃがのヨオッがうなじに引っ掛かる  律子(  〃  )
竹の皮で造るぼっちゃんのネクタイ  一筒(兼題「坊ちゃん」きゅういち選)
鯨肉に本家のボンは欲情す  秀・豆乃助(  〃  )
感じちゃう地下鉄のピッてするところ  くんじろう(兼題「感」山口ろっぱ選)
お前はもう死んでいるとついさっき  軸・律子(兼題「後はよろしく」森田律子選)
昨日まで金魚でしたとアドバルーン  かがり(席題4 かがり・出題「金魚」きゅういち選)
シマムラの丸首シャツからDJスサノオ  秀・ろっぱ(席題5 ろっぱ・出題「丸」井上一筒選)
ぶらさげたニンジン ニンジンのままで  幸彦(席題6 一筒・出題「乾く」岡田幸男選)

くんじろうさんが毎月開催・発行している「川柳北田辺」より。内容は句会報が中心なのですが、巻頭にはくんじろうさんの川柳時評ともいえる「放蕩言」が、巻末には酒井かがりさんの四コマ漫画が載っており、文芸誌として充実しています。

あくまでもわたしの感じ方ですが、北田辺の川柳を読んでいると〈伝統性〉をすごく感じます。といっても、所謂〈伝統川柳〉のそれではない。狂句、ばれ句、新興川柳、戦後革新川柳など、これまでの川柳の歴史的な成果すべてを集約している、という意味での伝統性です(わざわざこういうことを言うのは、狂句は川柳ではない、ばれ句は川柳ではない、レトリックを駆使した難解句はダメだ! といった類の公式主義がまだまだ川柳界で強いからです)。

先月発行された「川柳杜人」第260号にくんじろうさんは、「ふらすこてんが終わってしまったではないか!バカヤロウ!」という文章を寄稿されています。その冒頭では、「バックストローク」「川柳カード」「京都黎明社」「玉野川柳大会」「川柳結社ふらすこてん」が終わってしまったことを嘆いておられます。良心的な関西の川柳グループが次つぎと閉会してしまったことは無念だと思います。でも、「川柳北田辺」があるじゃないか、とわたしは言いたい。それくらい、北田辺の川柳は自由自在で面白い。

なお、今月1月20日の句会は100回記念だそうです。兼題は、「百」「太る」「女の子〜だなんて」「鉄板」「レロレロ」「ビー玉」「接着剤」「百一」を各題2句。前日までに出欠を、欠席投句は2日前までに郵送。わたしも投句しようと思っています。

新しく参加・投句される方は、くんじろうさんのツイッター、フェイスブック、ブログなどから要領をお尋ねください。

posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月03日

【小津夜景】喫茶江戸川柳 其ノ壱【飯島章友】


小津 こんにちは。今日は飯島さんが古い川柳を出す喫茶店を始めたというので、さっそくお邪魔しました。

飯島 いらっしゃい小津さん。喫茶江戸川柳へようこそ。このお店では江戸川柳、つまり江戸時代の川柳を楽しみながら珈琲を召し上がっていただけるんですよ。

小津 私、あまり川柳に馴染みがないんですよ。それで、まずは本歌取りの句を味わってみたいのですが…

飯島 わかりました。では、本日の本歌取り川柳セットはいかがでしょう?

小津 いいですね。それでお願いします。 

      * * *

飯島 おまたせしました、本日の本歌取り川柳セットです。百人一首の歌が分かりやすいと思いまして、その本歌取りを選んでみました。

  来ぬ人は花と風との間に見え
  あはで此世を過してるしやぼん売
  しのぶれど色に出にけり盗み酒

江戸川柳には本歌取りがたくさんあります。それに、百人一首や歌人にかんする教養を踏まえた句もたくさんあるんですよ。

小津 わあ、どれも薫り高いですね。わたしは、上から順に好きかなあ。浮世のはかなさが感じられて。

飯島 最初の「来ぬ人は」の句は、

  来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ

という権中納言定家(藤原定家)の歌の本歌取りです。定家は平安末期〜鎌倉初期の歌人で、百人一首を撰した人としてとても有名ですよね。この歌、「待つ」と「松」、「焼け焦げる」と「思い焦がれる」とをかけているんで、模擬試験なんかの問題によく出ていました。こっそり言います。わたしはお勉強ができない落ちこぼれだったんで、ある時期までこの歌はつらい思い出の一部だったんです。でも、短歌を詠み始めてから改めて定家の歌を読んでみると、この言語操作能力はすばらしいなと。

小津 ふむふむ。

飯島 川柳に話を移すと、「来ぬ人は花と風との間に見え」は、なぞなぞとして機能していると思うんです。読み手は、花と風との間って何だろう? と少し考えるのではないでしょうか。でも、当時は百人一首がいまよりもずっと身近だったんで、すぐにピンとくるひとが多かったかも知れませんね。

小津 どういうことでしょう?

飯島 定家の「来ぬ人を」の歌の前は、入道前太政大臣(藤原公経)の「花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくものはわが身なりけり」。後の歌は、従二位家隆(藤原家隆)の「風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける」です。そこに気づくとなぞなぞは解けます。ただ、そういうのを抜きにしてもいい作品だなと。言葉の取り合せがいい。

小津 そうですね。手品みたい。トリックに気づかなくても素敵だし、楽しめます。

飯島 おなじような仕掛けの句として、「打ち出て見れば左右に鳥と鹿」「我庵は月と花との間なり」「赤人の尻に猿丸きついこと」というのもあるんですよ。小津さんが詳しいと思いますけど、たしか蜀山人(大田南畝)の狂歌に「わが庵は都の辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治」なんてのがありましたね。江戸時代のひとは百人一首が好きだったんでしょう。

小津 蜀山人も「狂歌百人一首」を書いていますし、百人一首は武術でいうところの基本功なんでしょうね。

飯島 次の「あはで此世を過してるしやぼん売」の本歌は、平安前期〜中期の花形歌人で三十六歌仙の一人でもある伊勢の歌ですね。

  難波潟短き葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや

それに対して「あはで此世を過してるしやぼん売」は、「逢は」と「泡」とをかけてきちんとしゃぼん売りで回収しています。

小津 はい、さらりとスマートに。

飯島 泡ってはかないものですよね。たとえば『方丈記』の冒頭では、「うたかた」「水の泡」という言葉でこの世の無常が示されています。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし。……住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。」

これを踏まえると、掲句のしゃぼん売りの存在そのものが、はかなく想われてくる。このひとは此岸と彼岸のあわいに存在しているんじゃないか、という感じに。

小津 エラスムスに「人間はうたかたである(Homo bulla est)」といった格言があって、しゃぼん玉は西洋で人生の虚しさを意味する代表的イコンだったそうです。東西で感覚が同じなのがおもしろいな。次の句はいかがでしょう?

飯島 最後の「しのぶれど色に出にけり盗み酒」、これは世間のひとがイメージする川柳にいちばん近いかも知れませんね。本歌は、平安中期の歌人である平兼盛の歌。この人も三十六歌仙の一人です。

  しのぶれど色に出でにけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで

村上天皇が催した歌合のとき、「恋」というお題で、兼盛と壬生忠見が勝負を競った話は有名ですよね。忠見が提出した歌は「恋すてふわが名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」。このとき、判者の左大臣藤原実頼は、どちらもよい歌なので優劣がつけられず、困ってしまいました。

小津 どちらもいい歌ですものねえ。

飯島 ええ。でも、そのとき帝が「しのぶれど」と口ずさまれたので、実頼は兼盛の勝ちと判定を下した。そんなお話です。ただ、実頼は後のちまでずっと、あの判定で良かったのかと疑問に思っていたそうです。この背景を知っていると、「色に出にけり盗み酒」なんてのは、ハリセンですぱーんとしておかなきゃならない。

小津 あはは。確かにしょうもないボケだから、ツッコミには切れ味がほしいかも。

飯島 ここまで百人一首の本歌取りの句を見てきました。やはり共有文化があったからこそ成立していたように思います。わたしはお笑いが好きなんですが、むかしのコントを思い起こすと、忠臣蔵や国定忠治、森の石松なんかのパロディがありました。それというのも、老若男女に共有されているお話だったからだと思います。江戸川柳に「雪のなぞ解けて御簾を捲きあげる」という句があります。「解けて」は雪と謎の両方を受けている。それはいいんですが、この句は清少納言の「香炉峰の雪」を、当時の庶民が知っていたから出来たんだと思います。香炉峰は小津さんのほうが詳しいでしょうか。

小津 白楽天でしょうか。香炉峰ネタも多そうですね。「簾をかかげてきよらかな雪見也」。今日は素敵な本歌取り川柳をご紹介いただきありがとうございました。謎がとけてすっきりしたところで、窓の外の雪景色を眺めながら、残りの珈琲をのんびりいただくことにします。

《本日の本歌取り川柳セット》
来ぬ人は花と風との間に見え    トリック度 ★★★★☆
あはで此世を過してるしやぼん売  うたかた度 ★★★★★
しのぶれど色に出にけり盗み酒   ハリセン度 ★★★☆☆


posted by 飯島章友 at 21:00| Comment(0) | 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。