小津 今月もやってまいりました飯島章友さんの「喫茶江戸川柳」、前回ははじめてということもあり、万人にのどごしの良い「本歌取り川柳セット」を注文しました。今回はもうすこし味の濃い、珍しいものに挑戦してみたいと思います。てなわけで、飯島さんこんにちは。また来ちゃいました。
飯島 いらっしゃいませ、夜景さん。このお店では江戸川柳、つまり江戸時代の川柳を楽しみながら珈琲を召し上がっていただけます。今日はどのような川柳にしますか?
小津 今日は珍味っぽいものがあれば、それを試してみたいのですが。
飯島 珍味ですか……そういえば今年は葛飾北斎の没後170年ということで、いろいろな催しがされているそうです。北斎って世界的な絵師なのは勿論ですが、奇人としても有名ですよね? 同居人の娘ともども片付けられない親子で住まいがゴミ屋敷だったとか、それもあって引っ越しを93回したとか、じつは100回引っ越すのが目標だったとか、改名を30回したとか、『冨嶽百景』で画狂老人卍≠ニ号したりとか(笑)。
小津 「卍」は最高ですね。非合法っぽい香りがして。
飯島 非合法! たしかに元ヤンのじいさんっぽいセンスだ。でね、葛飾北斎って、なんと柳人でもあったんですよ。秀句アンソロジー『誹風柳多留』85篇(1825年)に序を寄せているくらいで。
小津 それはすごい。 本物の柳人なんだ。
飯島 「葛飾連」という吟社の主宰だったくらいですから。北斎の生涯は1760年〜1849年、柳多留の刊行は1765年〜1840年までですから、まさに江戸川柳の時代を生きた人だったわけです。北斎の柳号は卍、あるいは百姓・百性。そのほか、万字、万二、万仁、萬二、萬仁、万治、錦袋、百々爺も北斎の柳号ではないかと推測されているそうなんです。画号を30回も変えた人ですから柳号をこれだけ変えてもおかしくないですよね。
小津 そういうのわかります。わたしも号を変えたいタチだから。では今日は、北斎のセットを味わってみてもよろしいでしょうか。
飯島 かしこまりました。ただ北斎の川柳っていまのテレビならたぶん「びんづるのピーピーピーピーらしい木魚なり」「ピーピーピーピーめ行平鍋へみや子鳥」「ピーピー報謝来れば摑んでーピーピーピーピーピー」みたいになるのが多いんです。ですから本日は、そのへんに配慮したセットにいたします。少々お待ちください。
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おまたせしました、本日の北斎川柳・珍味添えセットです。
蜻蛉は石の地蔵の髪を結ひ
田毎田毎月に蓋する薄氷
芋は今咽元あたりろくろ首
初夢がモシさめますと獏の妻小津 え? これ、 まるで 立派なお師匠さんの句みたいですよ?
飯島 最初の句は、地蔵の頭に蜻蛉がとまったのが丁髷でしょうか、髪を結ったようだとの見立てですね。
小津 なるほど。「まんじ」と聞いて超ヤバいのを想像していたので、拍子抜けしてしまいました。
飯島 柳人の前田雀郎(1897〜1960)は北斎の句をあまり評価していません。雀郎は『川柳探求』の中で「川柳家北斎」という小論を書いているんですけど、「見るべきものなく」「川柳の名を以てはここに掲ぐるを遠慮すべき句ばかり」「ただかかる時に生れあわせ、川柳の心に触れながらその正しきものに眼を開き得なかった」と、さんざんな言いようなの(笑)。
小津 なぜでしょう。
飯島 雀郎なりにちゃんとした理由があります。北斎の時期の川柳はいわゆる「狂句」なんで、近代の川柳観からすると狂句風は許容できなかったわけです。ただ、見立て句とはいえ「蜻蛉」の句みたいなのが中心だったなら、雀郎の評価も違ったかもしれません。
小津 なんで一個の正解でものを測るんだろう。今より先に、過去があるのに。雀郎はわたし好みの端正な句を詠みますけれど、でも「川柳とは何か」という問いを「川柳において何が〈正統〉か」に置き換えてしまう感性は少しも端正じゃないですね。
飯島 近代っていうのは、前の時代のあり方をほぼ否定する原理があると思うんです。明治維新も、敗戦後も、90年代からの新自由主義体制も、その前の時代のシステムや精神性を否定しました。だから近代短歌でも正岡子規は、古今集以後の和歌にはあまりいい評価をしなかったですよね、源実朝や橘曙覧らは除いて。近代川柳でも、川柳が狂句と呼ばれていた約100年を先ず否定したんです。
小津 あらら。
飯島 だから前田雀郎もそういう近代の時代精神のなかで狂句に手厳しくなったんじゃないでしょうか。
小津 雀郎と子規とは似て非なる、ですよ。子規の狙いは伝統や権威の打倒による変革で、いっぽう雀郎はサブカルチャーだった川柳の歴史を物語的に再編してカルチャーにしたいって話ですから。近世和歌にはいろんな「邪道」を排するためのお家芸的ルールがあって、結果おおむねあんなことになりましたけれど、川柳における諸現象を制御しようとする雀郎の欲望は、正岡子規が批判した近世の抜け殻和歌と同じ道を招き寄せることになる。
飯島 そのへんは問題が大きくて延々話せちゃいそうなんで、次の二点に絞って私の見方を提出しておきますね。一つめは、アララギに代表される近代のスタイルは既存和歌にあった本歌取りなどのレトリックを排し、表現面では後退もあったし案外早く形骸化したこと。二つめは、子規やアララギは万葉に戻れといい、阪井久良伎ら川柳中興の柳人は狂句以前に戻れといったこと。つまり、レボリューションには革命のほかに「循環」という意味もあるように、革命変革には「再巡」の面もあるということです。その再巡が、因習や権威を打破し前進になると信じていた、という面で子規と久良伎はおなじだと思います。久良伎に師事したのち決裂しちゃう雀郎にも、後進として何ほどか時代の影響があったでしょう。
小津 ふむふむ。私ね、実は短歌も、和歌が排除してきた狂歌性の奪還を無意識に目指してきたように感じるんです。与謝野晶子から枡野浩一まで。こういう人たちが登場した時みんな驚いたと思うんですが、狂歌もひっくるめた三十一文字の歴史の中でみると全然ふつうなんですよね。
飯島 なるほど。そのへんとても興味があります。さて、次の句は信濃は姥捨の「田毎の月」を題材にしています。姥捨山のふもとの棚田は一枚一枚に月が映ると言われていて、観月の名所として有名なんだとか。歌川広重が絵に描いてから有名になったらしいんですけどね。冬になってその棚田に氷が張ると、田毎に映っていた名月がそのまま封じられる。すごく叙景的なんだけど、どこか人工性を感じます。
小津 はい。なんだか都会的な味がします。
飯島 じつは田毎の月は想像上の景色なんです。想像風景へ北斎流の創造が付け加えられた句なんですね。
小津 フューチャー・デザインっぽくキマってますね。
飯島 次の「芋」の句は文句取りです。吉原の二代目高尾太夫の作といわれる「君は今駒形あたりほととぎす」、あれです。洒落なんで、雀郎の好みからは遠そうだ。
小津 「君は今駒形あたりほととぎす」は好き句なのです。北斎の句もばかばかしくていいなあ。
飯島 芋は長い首だとつっかえそう。コントでよくあるんです。爺さんが「うっ」って餅を詰まらせたかと思いきや「うっ、うまい!」ってネタ。このろくろ首もそんなコントをしそう。
小津 あははは。その話を聞いてわかった。この句、意外と平句の味なのかも。
飯島 それは面白いですね。というのも、ご存じかもしれませんが雀郎は、川柳のルーツは平句だと書いているんですよ。
小津 はい。存じています。
飯島 雀郎は故人なのでもうお話することは叶いませんが、雀郎と今の短詩人が平句について意見交換したら一体どうなるんだろう、なんてことを想像して堺雅人みたいなニヤニヤ顔になってます。
小津 エロ・グロ・ナンセンスはダメでしょう。でも若輩特権を最大限に行使して、しつこく付きまとって落としたいですね。ご飯も若輩特権で奢ってもらいつつ。
飯島 最後の「初夢」の句は、夢違いの獏のことでしょうね。井原西鶴の『好色一代男』に「厄はらひの声、夢違ひの獏の札、宝舟売など」とありますけど、当時は獏を描いた札や、「獏」と書かれた宝舟の絵を枕の下に入れて寝る風習があったとか。こうすると、たとえ初夢が悪夢だったとしても獏が食べてくれるというわけです。ちなみに「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」っていう掛詞満載の回文を唱えたりもしていたみたいですよ。
小津 これね「モシ」が可愛いの。漫画のフキダシみたい。
飯島 『北斎漫画』をマンガやアニメのルーツという人もいますね。北斎はいろんなエコールに学び、絵の対象も名所・花鳥・妖怪・幽霊・生活・滑稽・役者・美人・アダルトと幅広い。さきほど立派なお師匠さんの句みたいと仰いましたけど、マジメか!って句を作るのも北斎ならではかもしれません。
小津 いろんな顔があるわけですね。いま住んでいるアパートから徒歩3分のところに入場無料の市立美術館があって、展示の目玉が北斎漫画の初版本なんです。本当みんな北斎が好きですよ。彼のヒップな精神が、こちらの心までぱっと明るくしてくれる。
飯島 へえ〜見てみたいなあ。話を戻すと、北斎の句も「さめます」が掛詞になっています。「(獏の食べ物としての)初夢が冷めない(覚めない)うちに食べてしまわないと」って獏の妻がいってるわけです。
小津 なるほど。「獏の妻」という設定も可愛いなあ。絵が見えます。今日はものすごく美味しかったです。しかも多彩な味で楽しかった。また機会を見つけて北斎の川柳を味わいたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
《本日のHOKUSAIセット》
蜻蛉は石の地蔵の髪を結ひ お師匠さん度 ★★★☆☆
田毎田毎月に蓋する薄氷 都会派度 ★★★★☆
芋は今咽元あたりろくろ首 ナンセンス度 ★★★★☆
初夢がモシさめますと獏の妻 マンガ度 ★★★★★