2019年06月04日

図書館や大型書店

図書館や大型書店を巡っていると、川柳のコーナーにあるべき書物が俳句のコーナーにあることがけっこうあります。

図書館でいちばん多いのは、時実新子著『有夫恋』が俳句の場所に配架されているケース。いままでに何回か、ガー! ガー! とヒステリックに……いえいえ、故児玉清さんのような紳士的な口調で「これは川柳の句集ですから、置く場所を正していただけると幸甚です、アタックチャンス!」と、図書館司書さんに申したことがあります。

また先日、某大型書店に、八上桐子著『hibi』が二冊置かれていてとても嬉しくなりました。が、喜びもつかのま、なんと『hibi』までが俳句のコーナーに置かれてあったのです。まあ、図書館のときと同様、児玉清口調で事情を説明したところ、きちんと川柳のコーナーに置いていただけるようになりました。

短詩型文学に興味がある人でもない限り、句集と言えば俳句句集をイメージするのでしょうかね。図書館司書や書店員ですらそうだとすれば、世間一般はさらに句集=俳句という認識なのではないでしょうか。でも実際、これまで川柳人はあまり句集を出版してこなかったわけですから、仕方ないことですよね。

いずれにせよ、短詩型文芸としての川柳は、まだまだ世間に知られていないということだと思います。尤もそのおかげでわたしは、マグロの美味さを外国人に知られてしまう前の日本人のように、川柳をじっくり味わえているわけですが。


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