2019年11月26日

詩集『一行の青春』/山村祐 編

詩集『一行の青春』( 山村祐 編/森林書房/1978年)

『一行の青春』は詩集とエッセイ集とが2冊1函になっている。2冊とも、山村祐を筆頭に250名が結集していた「短詩」誌(昭和41年9月〜昭和45年3月)に関わる内容になっている。エッセイ集のほうは山村祐の短詩論や短詩作品鑑賞、詩集のほうは計43冊発行された「短詩」誌のアンソロジーで72名の作品群が選出されている。

詩集の巻末に載っている山村の「短詩」誌顛末記によると、「短詩」会員の年齢は「一六、七才から二二、三才までが90%を占め、あとは二〇才代後半までを中心に、三〇才代、四〇才代を含めて10%弱、五〇才代は私と妻のほか一、二名だった」というから、既成の短詩型文学とは対照的だ。また会員のほとんどは俳句や川柳の洗礼を受けていなかったとも。そのため、徒手空拳でおのおのが短詩を模索していたようだ。だからだろうか、二年近くして壁に突き当たり書けなくなった実作者が多かったと、山村はエッセイ集のほうで書いている。

また、おなじく詩集の顛末記によると、短詩は「第三の短詩形作品の創造」を目標にしていたという。徳川時代に俳句や川柳という一行の詩が生まれたように、「近代以後の社会から新しく生れでるべき短詩形作品の可能性を考えた」そうだ。

それでは何はともあれ、詩集『一行の青春』より何作品か引いてみよう。

満月少年 スプーンに海をたしている  道上大作
マッチ擦った 睫毛に別の世界がブランコしてた  谷口慎也
エスカレーターからふってきた棺桶  吉田健治
別れる時は雪の上を上手に歩いて下さい  後藤すみ子
紫陽花の重いのは 夢を吸っているからです  桜陽子
あなたが好きと レモンスカッシュに浮いてみる  大沢たえ子
風葬の鳥 秋の果実は地底に熟れた  佐藤龍夫
たとえば 夜は長靴  森原英機
油紋に漂うフランス人形の胎内で澄んでいる祖国  石原明
一卵性双生児は夕日が嫌いトマトが嫌い  本間美千子
「おはようまどか」パパを疑っちゃえオウム  吹田まどか
おばさまのノド鳩が住んでいる 大ッきらい
あじさいの息の根とめて「ママ 花束よ!」


最後の吹田まどかとは故・安藤まどかの当時の筆名。安藤まどか(川柳での筆名は望月こりん)は時実新子のご息女で、「月刊 川柳大学」誌の発行人だった。短詩は現代から生れでるべき詩形ということで口語中心なのだが、吹田の作風は口語体というよりも会話体が全面に出ており、72名の中でも異彩を放っている。

さて、短詩とは何かという問題についてである。「短詩」誌内でも活発に議論がされていたようだし、一般に形式というものは作品をもって(つまり実践によって)示唆されるものだと思うが、短詩の牽引者である山村は自分なりの理論を立てていた。エッセイ集から抽出してみよう。そのひとつは〈一呼吸の詩〉という基準だ。これは、短詩は「呼吸を変えないで読めるということ、つまりいちばん快適な一呼吸の長さ」でよまれるということだ。一呼吸ということからすると、新古今短歌は五七五/七七の二呼吸でよまれる性格だと山村はいっている。そしてもうひとつは〈短詩ゴムマリ論〉。これは「ゴムマリを掌で強く握れば握るほど反撥力の増してゆく」ように「短詩の凝縮化の力が強まるに反比例して、それに反撥する力も強くな」るという理論だ。「ゴムマリを握る力が最高に達してハレツする(伝達性が失われる)直前において、相反する二つのエネルギーは最も微妙なバランスの美しさ、力強さを発現する」のであり、短詩もそのように成立するということだ。例として山村は「咳をしてもひとり」(尾崎放哉)をあげている。

「短詩」誌は長音派と短音派とに分かれたことなどによって休刊となった。もし続いていたらどうなっていただろうとも思うが、「短詩」は必ずしも定型によらない詩形なのだから、遅かれ早かれおのおのの道を歩み出していくことになっただろう。

現在、短詩・一行詩がジャンルとして成り立っているのかといえば、たぶんジャンルといえるほどの規模にはなっていない。そのような状況を見たとき、山村が短詩・一行詩の基準として〈一呼吸の詩〉をもっと前面に出せていたらどうなっていただろうか、と思ったりもする。或る文芸形式がジャンルとして成立し発展するには、参加者に或る基準がおおむね合意され、形式に安定性がもたらされることが必要かと思う。短詩・一行詩はその点で輪郭が見えにくい。誤解のないようにいっておくと、形式の安定=厳密なルールが必要といっているのではない。そうではなく、あらかじめの基準がなければその形式を更新する応用可能性も出てこない、というごく平凡なことをいいたいのである。


posted by 飯島章友 at 07:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月21日

「川柳スパイラル」7号発行

「川柳スパイラル」第7号が11月25日に発行されます。今号の「小遊星」のゲストはながや宏高さん。ながやさんと飯島が『パン屋のパンセ』でおなじみの杉ア恒夫について語り合っています。ながやさんは「かばん」の元編集人で、現在、書肆侃侃房の短歌ムック『ねむらない樹』で杉ア恒夫論を連載されています。杉ア恒夫は一般読者を得ている数少ない歌人だと思っているのですが、彼のことをスパイラルの読者はどう感じるのか。そこにとても興味があります。なお、杉ア恒夫歌集『パン屋のパンセ』『食卓の音楽 新装版』は六花書林から発売中です。

またスパイラル誌のお求めは編集発行人である小池正博のTwitterにDMを送ってください。

spiral7.jpg

【川柳スパイラル7号・内容】
・巻頭写真   入交佐妃
・渦の送受信  小池正博
・同人作品 Spiral Wave
・【同人作品評】猥雑な祝祭  石田柊馬
・【特集】短歌と詩の交わるところ
  〈型〉を越えるために  彦坂美喜子
  二つの楽器  金川宏
・会員作品 Plastic Wave
・現代川柳あれこれ Biotope  小池正博
・小遊星 連載第7回  飯島章友×ながや宏高
・本格川柳小説 七ノ巻 匙と満腹  川合大祐
・現代川柳入門以前 読みの変遷  小池正博
・【リレー・エッセイ】俳句甲子園  吉松澄子
・妄読ノススメ  兵頭全郎
・川柳スパイラル 東京句会・大阪句会
・GAKKOの川柳な人たち  月湖
・投句規定・合評句会案内
・編集後記

川柳スパイラル
posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月13日

山村祐集『肋骨の唄』

山村祐 著『肋骨あばらの唄』
1998年発行
近代文芸社


剝製の鳥のに 世界は閉ざされた
皮膚よかなしめ 神は皮膚持たず
鳥 地を這い にんげん蒼穹へ堕ち
小鳥泳ぐ空 海底の これは一匹の鮟鱇であるか
摺りへった活字が歩いてく 鳥打かぶって
裸身かな 扇にひらくうおの骨
眼の前で巨大になる蟻 美事な顎だ
死ヲ殺セ!吊サレタ男ノ靴ホド重クハナイ
しろい皿はいつも空腹
蝙蝠傘 空を漂う ふぐりを吊し



山村祐は中村冨二、河野春三、松本芳味、墨作二郎らとともに創成期の「現代川柳」を牽引した重要人物だ。わたしが短歌をはじめた当初から愛用している小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(新書館 /1999年)では、新興短歌の前川佐美雄から始まっている。それを川柳にあてはめるなら新興川柳に関わった田中五呂八や川上日車、木村半文銭、渡辺尺蠖などから現代川柳といえそうだ。しかし河野春三は、現代川柳という呼称へ「進歩的な川柳」の意味合いを込めたのは昭和30年以後のことであって、戦後の現代川柳が戦前の新興川柳・革新川柳・自由律川柳運動と直ちにつながるわけではない、という旨を述べている(『現代川柳への理解』/1962年/天馬発行所)。

山村祐は1911(明治44)年生まれ。大学のころから劇作に関心を向け、人形劇の老舗「人形劇団プーク」に入団、国際人形劇連盟日本側常務理事をつとめるまでになった。また同じく大学のころから近・現代詩に興味を持ち、現代詩を創作しはじめるのだが、のちに活躍の場を川柳や一行詩へ移していった。これは「一行で表現が完結される点に牽かれたからである」と、『肋骨の唄」のあとがきで述べている。山村のキャリアについては小池正博著『蕩尽の文芸─川柳と連句』(まろうど社/2009年)所収の「山村祐とその時代」が大変よくまとまっており、お勧めだ。

新編日本全国俳人叢書18『山村祐集 肋骨あばらの歌』に収録された山村の作品をみて気づくのは、一字空けが多用され、大半が自由律の作品だということ。この点では現在の書き手よりも徹底している。これは山村個人の志向が、川柳でも俳句でもない非定型の「短詩」に向かっていたからだと思われる。ただし、昭和30年代の現代川柳じたいにそのような志向性があったようである。河野春三の『現代川柳への理解』には、春三が考える「現代川柳の立場」が列挙された箇所があるのだが、そこには「一、必ずしも5・7・5の一定のリズムでなしに、自分の内部要求に即応した短詩のリズムを見出してゆくこと」と書かれている。

肋は鳥籠 囚われた時間啄ばむ
肋骨あばらかげから別の空の月 見ている
死は 手袋のように垂れている
曇天──巨大な胃袋垂れさがる


『肋骨の唄』というタイトルどおり、同集は肋骨を詠んだ作品がとても多い。また何かが垂れていたり、吊り下がったりしている作品もじつに多い。人形劇に携わっていたことと関係しているのかな、とも思ったが、もしかしたら戦争や敗戦後の情景を作品化した面もあるかも知れない。というのは同集に、「巨大ナガ 死を蝙蝠傘アンブレラノヨウニ開ク」「死ヲ殺セ!吊サレタ男ノ靴ホド重クハナイ」といった片仮名表記の句が散見されること、また「肋骨」と「垂れる」とが骸、檻、血のしたたりを想像させるからである。

さて、川柳でも俳句でも短歌でもない短詩、すなわち一行詩という領域はどのようなものなのか。短詩型文学の総合化ということなのか。もしそうであるなら、格闘技でいえば総合格闘技ということになる。とすれば、山村祐=佐山聡(初代タイガーマスク)ということになるのだろうか。ちなみに佐山聡は、総合格闘技を競技化した格闘家である。一行詩がどのようなものであるのかは今後も考えていきたい。
posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(0) | 川柳論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月04日

喫茶江戸川柳 其ノ捌

小津 こんにちは。

飯島 いらっしゃいませ。あ、小津さん。さいきんお越しにならなかったのでどうしたのかなと思っていたんですよ。

小津 さいきんは家にこもって、言葉遊びの俳句を作っていたのですが、少し手づまりになってきて。今日は江戸川柳で気分転換しようと思って来ました。何か面白いメニューはありますか?

飯島 江戸時代は言語遊戯の全盛期ですよね。でも、万葉時代からすでに言語遊戯的なことは行われていたみたいです。たとえば有名なところでは、『万葉集』巻12の2991番〈たらちねの 母が繭隠まよごもり いぶせくもあるか 妹に逢はずして〉。ご存じのように万葉集は平仮名・片仮名ができる前だったので、この歌も「垂乳根之 母我養蚕乃 眉隠 馬聲蜂音石花蜘蟵荒鹿 異母二不相而」と漢字で記されています。この四句目にあたる箇所がくせものです。ここでは「い」=「馬聲」、「ぶ」=「蜂音」、「せ」=「石花(カメノテのこと)」、「くも」=「蜘蟵」、「あるか」=「荒鹿」というふうに対応しますが、「い」を馬聲に、「ぶ」を蜂音にしているのがとても興味深くないですか?

小津 はい。書いた人も読解した人もすごいです。

飯島 「いななく」や「ぶんぶんぶん」に通じますよね。ついでにいうとこの四句目、すべて生き物で当てています。

小津 5種の動物「馬聲・蜂音・石花・蜘蟵・荒鹿」か。楽しんでいるのが伝わってきますね。華やかなところもいいな。

飯島 それでは私が言語の権化となって言葉遊びの句を揃えてみましょう。少々お待ちください。

      * * *

お待たせいたしました、本日の言葉遊びセットです。

 同じ字を雨雨雨と雨るなり
 分散に世をうつせみのから箪笥
 おまんまをはりはりで喰ふ按摩取  都々一
 雪は鴨を煮て飲んで算段す
 日のくれの門にしばらく母はたち (歌人考)


最初のはけっこう有名な句で、「おなじじを あめさめだれと ぐれるなり」と読みます。

小津 字面がめちゃめちゃ実験的で面白いです! 春雨(はるさめ)のサメ、五月雨(さみだれ)のダレ、時雨(しぐれ)のグレ。〈雨はあめさめだれぐれと読むべけれ木綿の袖をぬれとほるまで/小池純代〉という短歌はこの川柳に由来するのですね。

飯島 次の句の分散は「@身代限り。破産。A屋材家財一切を売り払って家を畳むこと。B芸娼妓が借金返済などのため、自己の所有物一切を売り払うこと」です。空蝉の〈殻〉と〈空〉箪笥とのダブルミーニングになっているほか、〈うつせみ〉は〈世〉にかかる枕詞ですから複雑な構造です。なんか説明しながら頭がこんがらがってきました。私はどこ、ここは誰。

小津 あはは。掛詞って、短歌狂歌ではマニエリスムの域に達していますけれど、俳諧川柳では複雑なのがあんがい少ないかも。この〈分散に世をうつせみのから箪笥〉は物悲しい句ですね。掛詞、蝉、無常観といった特徴から〈朽ち果てしその蜩の寺を継ぐ/佐山哲郎〉を思い出します。

飯島 次の句のはりはりは「はりはり漬け」のことです。切り干し大根を酢と醬油に漬けたもので、私も子供のころよく食べていました。これは都々逸を完成させた都々一坊扇歌の句です。彼は川柳もよく作っていて柳多留に何句も収録されています。掲句は漬物の「はりはり(漬け)」、肩の「張り張り」、按摩の「鍼鍼」が掛けてあるのがわかりますが、もしかしたら漬物を食べる「ぱりぱり」も意識しているかもしれません。

小津  都々一坊さんだけあって寄席で受けそうな感じがします。3つ以上の語彙が掛かるのもすごいし、〈おまんま〉と〈あんま〉の韻の踏み方も上手です。

飯島 ああ、そう言われればそうですね。ところで、私は昔の歌だと西條八十作詞・服部良一作曲の「蘇州夜曲」が好きなんですが、この歌は歌詞が都々逸調になっています。ってか、そもそも昭和の歌謡曲って都々逸調がすごく多いです。江戸時代以来の都々逸調と西洋由来のモダンなメロディ。歌謡曲からも近代日本のあり方が見えてくるような気がいたします。

小津 都々逸が小唄から歌謡曲にそのまま移行しているのかしら。今まで気づいたことがありませんでした。次の〈雪は鴨を煮て飲んで算段す〉は?

飯島 これは歌謡曲ではなく、謡曲「鉢木」にある一節「雪は鵝毛がもうに似て飛んで散乱し」をもじったものです。言わば地口的な手法、語呂合わせみたいなものですね。たとえば「猫に小判」→「下戸にご飯」、「舌切り雀」→「着た切り娘」という感じ。さて掲句は、雪の降る日に友人たちと鴨鍋をつつき、お酒を酌み交わしつつ、遊びに行くための算段をしている場面です。原文とはまったく違った内容に作り変えています。

小津 なるほど。これが一番現代でも生きている言葉遊びかもしれませんね。音一辺倒の「空耳系」ってことですもんね。次の〈日のくれの門にしばらく母はたち〉。これどこに言葉遊びがあるのでしょうか。

飯島 これは『誹風たねふくべ』に収録されている「隠句」です。隠句は謎謎句のことで、句に隠されている謎を読み手が当てるために作られた川柳です。

小津 この連載でも、百人一首の回でマスターが取り上げていらっしゃいましたね。あのあと自分でも調べて、問〈三人で一人魚食ふ秋の暮れ〉、答〈藤原定家〉なんてのを知りました。

飯島 たねふくべにはヒントとなるイラストもついているので、読者は楽しみながら謎解きができる内容になっています。まあ、ここではイラストをお出しすることはできませんが、川柳だけからでも十分に謎解きが楽しめますよ。たとえば〈馬鹿だけに身をかへり見てりんきする〉(食物考)という隠句。これは、身をかえりみる馬鹿→かば、りんき=焼きもち、ということから食べ物を考えていくと、答えは「蒲焼き」になります。あと〈しやくやくに和名はなしと思ひけり〉、これは〈しゃくやくに〉を四八九八九二と見てそれを合計すると四十、和名はなし→唐となりますから、答えは「四十雀」。なんか「どこにいる?」→「105216」といったポケベルの暗号メッセージを思い出します。では同じ要領で小津さんに、〈日のくれの門にしばらく母はたち〉(歌人考)の謎を解いていただきましょう。歴史上の歌人から導き出してください。

小津 うーん、柿本人麻呂〈燈火の明石大門に入らむ日や漕ぎ別れなむ家のあたり見ず〉でしょうか? この和歌には「日のくれ」に相当する語がないけれど、そこは枕詞の「燈火の」で代用して…。

飯島 わあ! 答え云々よりも教養の深さに驚いてしまいました。なにか答えを申し上げるのが怖くなってしまいましたが、正解は「小野小町」です。日が暮れても子供が帰らないので、お母さんが心配して門で待っている情景から、子待ち→小町となるわけです。

小津 あ、「子待ち」か! 早押しクイズとしては抜群の問題ですね。考えすぎてしまいました。

飯島 言葉というのはおもしろいですね。言葉には伝達的な側面がありますけど、歌や句も含めた詩的な領域では伝達におさまらない側面があると思います。その意味では現代の短詩型文学でももっと言葉遊びが見直されていいのに、なんて思うことがあります。偉い方々からは怒られそうですが。

小津 今日は楽しい言葉遊びがいっぱいで、とてもリフレッシュできました。家に帰って、私も心機一転、言葉と戯れてみようと思います。マスター、今日もありがとうございました。

《本日の言葉遊びセット》
同じ字を雨雨雨と雨るなり     滴る教養度 ★ ★ ★ ☆ ☆         
分散に世をうつせみのから箪笥   マニエリスム度 ★ ★ ★ ★ ☆
おまんまをはりはりで喰ふ按摩取  寄席芸人っぽい度 ★ ★ ★ ★ ☆   
雪は鴨を煮て飲んで算段す     空耳アワー度 ★ ★ ★ ☆ ☆
日のくれの門にしばらく母はたち  早押しクイズ度 ★ ★ ★ ★ ★

posted by 飯島章友 at 21:30| Comment(0) | 川柳サロン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月02日

【絵川柳】よそのカゴ白滝足りないでしょう/大川崇譜

20191102_033346.jpg
よそのカゴ白滝足りないでしょう/大川崇譜

* 「そして大阪バラが咲く街」「コンテナが太平洋に帰宅する」「雲は焼きサバ冬を待っている」。どうして現代川柳は口語構文をたいせつにするようになったのかなあとときどきどきどきしながらかんがえる。サラリーマン川柳やシルバー川柳は口語構文をたいせつにする傾向はなく、むしろ標語的にして意味性を強く相手に訴えるが、現代川柳は、「今夜はくもりときどき雨が降るでしょう」のような口語構文を密輸して転用する。もしかしたら川柳というのは、〈みじかい文〉というジャンルなのかもしれないなあとおもうことがある。そういうジャンルはないですよ、と言われたとしても、オカルト的に、〈みじかい文〉をあるとき信じたひとたちが集まっているばあいもあるのではないか。Suicaをかざすことと、詩を書くことのあいだにどれくらいのちがいがあって、どれくらいそのふたつがとりかえっこできたりするんだろう。かざしたときと書くときの顔はどれくらいちがうんだろう。そうおもったときに、そういうことをかんがえながら、あるいた。(柳本々々)
posted by 柳本々々 at 03:41| 今月の作品・鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする