タイトルをはじめとして、各句にも「裸締め」「卍固め」「場外乱闘」「異種格闘技」「タイガーマスク」「裏技」と、プロレスリングに関わる言葉が使われています。でも、プロレスそのものを詠んでいるわけではない。「あいだがら」「痴話喧嘩」という言葉も使われているように、人との付き合いをプロレスになぞらえて描いた連作だと思います。
この10年ほどでしょうか。いわゆる「昭和プロレス」を振り返る書籍がつぎつぎと出版されています。ただしその内容は、プロレス界の人間関係や人間模様に焦点のおかれたものが多いように思います。当時を知るレスラーや関係者が「実は当時あの人のことをこう思っていた」と証言していくものですね。そう、(なぜか日本の)プロレスマニアというのは、試合結果以上に人間ドラマを楽しむ傾向があります。実際、プロレスの世界はとても人間臭いのです。そのような訳で、人との付き合いをプロレスになぞらえるのは上手い方法かも知れません。
裸締め掛け合っている あいだがら
裸のお付き合い、つまり隠し事がない間柄ということでしょうか。ところでスリーパーホールドとは、相手の頸動脈を圧迫して失神させる技。同じように、裸のお付き合いだからこそ大きなリスクを伴うこともあるので、要注意です。
お約束の場外乱闘 痴話喧嘩
場外乱闘とは穏やかでありません。しかし、ここでは「お約束」といっているのですから一種の儀礼なのでしょう。同じように痴話喧嘩にも儀礼的な機能があるのではないでしょうか。
むかしのレスリングには紛争解決の儀礼的な側面があったと聞きます。部族間の代表同士が試合をするのですが、かならずドローで終わるのです。その意味では痴話喧嘩もレスリングといえるかも知れません。こまめに痴話喧嘩するくらいが長続きするのです。
尤も、儀礼のつもりが修復不能な喧嘩に発展してしまうこともあります。それは信頼の基盤が失われ、ノーコンテストや制裁マッチになってしまう試合と似ているのです。
ときどきは異種格闘技も試したい
わたしは馬場派・猪木派、あるいは全日派・新日派というスタンスをもっていません。好きで好きでしょうがないプロレスラーもいません。わたし、プロレスファンとしてはじつにツマらないタイプなのです。しかし、だからこそ少々公平に発言できると思うのですが、昭和の頃は新日本プロレス(猪木)のほうが全日本プロレス(馬場)よりも人気がありました。
その理由のひとつとして、新日本には異種格闘技戦という目玉があったからです(アントニオ猪木とモハメド・アリが戦ったことは、いまの若い格闘技ファンでも知っているはずです)。
当時の異種格闘技戦は特別な試合。その非日常感はいまの総合格闘技以上だったと思います。それに対して全日本(馬場)は、プロレスの領域を外れることがありませんでした(アントン・ヘーシンクの柔道ジャケットマッチなど一部例外的なものはありましたが)。それは堅実ではあるもののマンネリと紙一重です。
夫婦や恋人の関係が冷え込む一因にマンネリがあります。だからこそ、〈サプライズ〉という異種格闘技戦で非日常感を出し、アクセントを付けるものなのかも知れません。
尤もジャイアント馬場はマンネリを突き抜けた結果、ある時期から新日本プロレス以上に支持を集めはじめました。これも人間関係と重ねることができそうではありませんか。
裏技まで使い果した昼の月
当連作は「明烏呼ぶまで時間無制限」で始まり、最後に上掲句で終わります。連作の主人公は昨日の夜から、あらゆる工夫をこらして他者と交わってきたのでしょう。場外乱闘をし、異種格闘技戦をおこない、虎の覆面をかぶり。だが、とうとう主人公は「裏技」まで表に出してしまった。空には「昼の月」がうっすらと呆けたように浮かんでいる。まるで、すべてを出し尽くした主人公のように。
ちなみに、わたしの川柳はランカシャーレスリングでありたいと思っています。ですから、句会=興行で受けようが受けまいが関係ありません。道場で黙々と技術を追及していくのみです。