2020年08月31日

夏目漱石と素晴らしき格闘家たちB

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夏目漱石と素晴らしき格闘家たちA

1901年12月11日のバーティツ大会を記事にしたフィットネス雑誌『サンドウズ・マガジン・オブ・フィジカル・カルチャー』ですが、このサンドウというのは人名なんです。彼の名はユージン・サンドウ。「近代ボディビルの父」と呼ばれる彼こそが、サンドウズ・マガジンを創刊した人物です。

サンドウは1867年にプロイセンで生まれました。虚弱だったサンドウに新鮮な空気を吸わせてあげようと、お父さんが彼を連れてイタリアを訪れたときです。古代の彫刻の逞しい肉体にサンドウはすっかり魅せられ、みずからの肉体を彫刻することに目覚めたのでした。当時の有名なトレーナーのもとで肉体を鍛え上げ、1889年にロンドンのストロングマン・コンテストで優勝。これにより彼の名声は一気に高まりました。

その後、筋肉・怪力パフォーマンスで各国をまわり、人気を博しました。殊にイギリスでのサンドウの需要は高かったといいます。その理由は、当時のイギリス労働者階級の深刻な虚弱体質にあったようですが、詳しく知りたい方は坂上康博 編著『海を渡った柔術と柔道 日本武道のダイナミズム』(青弓社)所収の岡田桂著「柔術家シャーロック・ホームズ、柔道家セオドア・ルーズベルト」をお読みになってください。

サンドウは実業家としても優れていました。たとえばトレーニングの教則本を出し、通信指導を行っていました。また運動器具の開発をしたり、おしゃれなスポーツクラブを開設したり、先にも述べたスポーツ雑誌を刊行したりと、かなり手広く事業を展開していたようです。

わが国でもサンドウのトレーニング法は紹介されました。明治33(1900)年、嘉納治五郎の私塾連合である造士会が『サンダウ体力養成法』(造士会 編/造士会)を出版したのをはじめ、サンドウに関わる本が幾冊か出ました。柔道の生みの親である嘉納治五郎もサンドウから影響を受けていたわけです。ちなみに嘉納は、明治26(1893)年の高等師範学校校長時代に、夏目漱石を英語講師として迎え入れています。人の縁とは不思議なものですね(参考:全日本柔道連盟HP内「コラム第7回:ラフカディオ・ハーンと夏目漱石」)。

1901年、サンドウは初のボディビル・コンテストをロイヤル・アルバート・ホールで開催しました。大会は大成功。そのときサンドウらとともに審査員を務めたのはコナン・ドイルです。なんと! ドイルとサンドウには交流があったのです。『コナン・ドイル シャーロック・ホームズの代理人』(ヘスキス・ピアソン・植村昌夫 訳/平凡社)にはこう書かれています。

彼はユージン・サンドウに筋肉増強法の個人指導を受けた。サンドウは象を持ち上げ大砲の弾でお手玉をしてみせた怪力男である。

ドイルはスポーツマンとして何にでも手を出したようですが、クリケットは特に上手だったようです。同じくこう書かれています。

クリケットでは打者としても投手としても一流で、由緒あるマリルボーン・クリケット・クラブの一員として何度か「ファーストクラス」の試合に出場した。ドイルは投手としてW・G・グレースのウィケットを倒してアウトにしたことを大いに誇りにしていた。

近年、日本でも筋トレブームで、「筋肉は裏切らない」なんて言葉もよく耳にしますが、ここまで見てきたように筋トレブームの先駆けは、まさにユージン・サンドウだったわけです。尤もわたしは筋トレ的な筋肉がちょっと苦手なので、このブームに乗っかってはいませんが……。なお、彼はトーマス・エジソンが発明した映写機「キネトスコープ」作品へも出演しました。こちらはネットでも観ることが出来ます。

ところでスポーツマンといえば、夏目漱石もスポーツが得意だったと聞きますよね。親友の正岡子規も大変な野球好きでしたが。『漱石先生とスポーツ』(出久根達郎/朝日新聞社)にはこう書かれています。

 そんな子規が、大学予備門時代は、ベースボールに熱中していた。わが国ベースボール草創期に、このスポーツを世にひろめた功労者の一人である。
 一方、漱石も大学時代は、器械体操の名手であった。抜群にうまかった、という同級生の証言がある。ボートも漕いでいる。東京から横浜まで力漕した、という。水泳、乗馬、庭球も行っている。野球も体験しているようだが、これは子規の感化だろう。
 二人とも若い頃はスポーツマンだったのだ。

夏目漱石がイギリスに留学していた時期は、コナン・ドイルが活躍していた時期でもあり、またサンドウのフィジカル・カルチャー(身体文化)がイギリスを席巻していた時期とも重なります。それと関りがあるかはわかりませんが、明治42(1909)年の『漱石日記』にこんなことが書かれているんです。

 六月二十七日〔日〕 雨。西村にエキザーサイサーを買って来てもらう。これを椂側えんがわの柱へぶら下げる。

 六月二十八日〔月〕(中略)エキザーサイサーをやる。四、五遍。からだ痛し。

「からだ痛し」を見てジャスミン茶を吹き出しそうになりました。エキザーサイサーという英語の商品名からして輸入物の運動器具なんでしょう。時期からすると、サンドウの開発した器具を買ったのかも知れませんね。
(つづく)

2020年08月30日

千春『てとてと』を読む 1

てとてとを読む/樹萄らき

 千春さんの実家で飼っている猫の名が「てと」である。表紙の「てと」はたまらなく良い表情。
 彼女の特徴として、よく樹々と会話する句がでてくる。大樹や葉っぱと会話したり、もたれかかったり、頭を撫でてもらったり、撫でてあげたり、それがとても自然で違和感なく感じるのは彼女の本性だからなのだろうか。植物的というのは気持ちのいいものだなとよく思った。
  週末に「お疲れさま」という樹々に「ほんとう」という素直な私
 彼女の作品はいつも等身大だと思う。「素直な私」も彼女だから、受け手も素直に読める気がする。
 ときどき言葉が飛びすぎて追いつけないこともあるが、それはそれで今の彼女なのだと思う。いつか、自分がそのレベルになったらわかるだろうと思いたい。
  不登校とうもろこしの葉が繁る
 彼女が不登校になったことがあるのかどうか知らないが、心は不登校になったことがあるかも知れない。とうもろこしの背の高さ、畑の中でしゃがむ彼女、葉のざらざら感と濃い緑色、そしてその中の蒸し暑さを肌に感じる。一人だけれど独りではなくて、今はとうもろこしが寄り添ってくれているのだ。この優しさは彼女だけのものだ。
  見逃した着物の裾が智恵子抄
 有名な本を題材にしても、彼女が句にすると彼女の世界となる。智恵子抄なのに、彼女が今着ている着物の裾に違和感があって足元を確認している姿がもう智恵子抄ではなくて、彼女になっているのだ。智恵子抄と彼女の共通点がそこにあるように感じる。ふわっと香ってくるのは智恵子抄の本の中の智恵子さんなのか、彼女の香りなのか、狐につままれた感じがいい。
 日常の中から生まれたのもいい。飾らないから本当にそうなんだろうなと思わせてくれる。
  手もとから産声あげるその文字は今の私になってゆきます
 今日の出来事を書いているのに、書いた先から今のことになっている時間の遡り感がいい。そして
  これでいいんじゃないのか日記を燃やす
 彼女はやはり孤独を持っている。自分が居なくなったあとに、身内や知人、見知らぬ人に自分の胸の内は読まれたくないから、書き終わった日記はその都度燃やしてしまう。キャンプで焚き火を見つめている感じで燃やされていく日記、表紙が分厚いからなかなか簡単には燃えない時間、この消滅感が実に気持ち良いのだ。
  ストーブが無いと私は毛が生える
 もちろん彼女は猫ではないので毛も生えていなければ髭も尻尾もない。しかし寒いと長座布団を二枚重ねてフリースの膝掛けを敷いて、そこに猫のように丸まって寒さをしのぐ彼女の姿が浮かぶ。この作業の方が手間がかかるだろう。
「ストーブつければいいじゃん」
「面倒臭い」
 なんて夫婦の会話が聞こえそうだ。あくまでじっとして動かない彼女と、しかたないなぁ、スイッチ押せばいいだけじゃんという顔でストーブをつける夫のまったりとした感が心地良い。
  大変な交通事故というテレビあなたと私ケンカのさなか
 これはもう誰にでもある日常で、彼女夫婦だけのことではないのだが、こうして短歌になると改めて、ああ家もそうだわぁ、と共感する。そして
  ひくいところでくちびるをなめる
 してやったりとチロッと唇を舐める彼女の顔は女だ。自分が何をすれば彼がどう動いてくれるのか分かった上で、ちゃっかり実行し、優しい彼を見つめる。
 彼女の言葉の使い方は独特で、けれどもそのチョイスがすんなりと彼女から出ていることは、普段の彼女を見ていると納得する。
  八百屋が売っている二物衝撃
 別に八百屋に2メートル大のキティちゃんが売っているわけではない。すべて八百屋にあるべき野菜や果物が売っているだけなのだが、彼女にはこの商品達の会話が聞こえるのだ。頭の片方で今日のメニューを考えている間、もう片方では野菜達の会話やらケンカやらが聞こえている。いったんは忘れるのだが、川柳を考えている時にその時のことがふと甦ったに違いない。大根と苺の意見の衝突はさぞ面白かっただろう。
  神様は玄関先でぐーぐー満ちる
 そして彼女によると、神様は玄関先でぐーぐー「満ちる」のだ。何だか宮崎駿作品を連想させる。
  スパゲティがサァーと浮世絵を描く
 更に、夕食に作ったスパゲティを皿に盛り、ミートソースをかけた瞬間、それはもうミートソースではなく浮世絵と化する。「サァー」っという表現、スパゲティのクルクル感と色を乗せるようなミートソースのタッグはもう浮世絵なのだ。だからフォークではなく割り箸を使うことになる。食べるごとに絵は変わっていく。乙な夕食だ。

 以前、らきさんの名前を使った句を書いてもいい?と聞かれ、簡単に「うん、いいよ」と承諾した。そして本にまで載ってしまった。
  あと少しあともう少しで樹萄らき
 彼女の「あたし感」って何だろう?いつか聞いてみたいような、聞かない方がいいようなふらふらした気分だ。
 鑑賞をと言われ、白羽の矢を立ててもらえたことが有難くて書いたが、いやはややはり人様の句について書くのは難しいとつくづく思う。こんな浅い鑑賞でごめんね、と紙面上で謝ってしまう。
 最後に、彼女のこの本に詩も載せている。好きな一つを挙げておく。
「顔」です。
 お粗末でございました。
posted by 飯島章友 at 00:00| Comment(4) | 川柳句集を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月25日

夏の夜のスリラー川柳

本日8月25日は「川柳発祥の日」。というわけで「夏の夜のスリラー川柳」を選んでみました。




死にきれぬものがうごめくゴミ袋  普川素床




あちこちに芒はみだす死後の姉  石部明




長い髪の少女を飾る地平線  畑美樹




かあさんがなんども生き返る沼地  なかはられいこ




肉体は片付けられた紅葉狩り  樋口由紀子




するめ堅しあかんぼうやわらかし  石田柊馬




ある日届いた郵便ではない手紙  小池正博




塩をたっぷり振りかけ楽にしてあげる  広瀬ちえみ




夢想する首は水平に干そう  清水かおり




穴は掘れた死体を一つ創らねば  定金冬二




※出典(順番どおり)
・川柳作家全集『普川素床』
・セレクション柳人3『石部明集』
・『バックストローク』第36号
・『脱衣場のアリス』
・セレクション柳人13『樋口由紀子集』
・セレクション柳人2『石田柊馬集』
・セレクション柳人6『小池正博集』
・セレクション柳人14『広瀬ちえみ集』
・セレクション俳人プラス『超新撰21』
・『無双』
posted by 飯島章友 at 23:52| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月07日

「川柳カモミール」第4号

発行人 笹田かなえ
定価  500円(送料別)

7月20日に「川柳カモミール」4号が発行されました。
今回は「カモミール句会設立五周年記念誌上句会」の発表号です。
上位句については「川柳日記 一の糸」をご覧になってください。

以下は川柳カモミールメンバーの作品より。
なお今回、各作品への評は、柳人の小池正博さんと歌人の佐々木絵理子さんが担当されています。

 とびきりの笑顔でエッシャー渡される  潤子

渡されたのがエッシャーとなれば、「とびきりの笑顔」も字面どおりには受け取れない。
福笑いのような笑顔なのかもしれません。

 点だった頃の点ではなくて 雨  守田啓子

点にも境涯がある。
かつては時間の流れを塞き止めていた点なのに、いまは雨の滴のように時の流れに身をまかせ。

 また百羽カラスが増えて楽しい地球  細川静

カラスも地球の賑わい。
先進国の人間は少子高齢化でも、カラスや、ごきぶりや、ねずみは、ますます増えていくのでしょうね。

 前世はスーパー南瓜だったのよ  滋野さち

漢字の前に「スーパー」をつけるとアラ不思議、渋さが一変します。
スーパー銭湯、スーパー歌舞伎など、実際にあるもののほか、スーパー川柳、スーパー写経、スーパー町内会、スーパー平泉成なんてどうでしょう。

 牛乳と乳牛ほどに遠去かる  笹田かなえ

カレーライスとライスカレーならば違いは殆どありませんが、牛乳と乳牛だと確かにまったく違いますね。
豆乳と乳豆でもまったく違いますが、18禁かも。

chamomile4.jpg
posted by 飯島章友 at 23:30| Comment(0) | 柳誌レポート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月04日

夏目漱石と素晴らしき格闘家たちA

前回の記事
夏目漱石と素晴らしき格闘家たち@

ところで、漱石が観た興行についてネットで調べてみると、その興行と思しきものに言及した文章がいくつか見つかりました。いちばん詳しく載っていたのは、1902年1月の『サンドウズ・マガジン・オブ・フィジカル・カルチャー』の記事です。その記事では、1901年12月11日にセントジェームズホールで催された「バーティツ」の大会がレポートされています。以下、そこから引用させていただきます。

But truth to tell I could not go far; for it was with the intention of learning, so to please the Fates and Mr. Barton-Wright, that I recently attended the Tournament which was recently promoted by the latter, and held at the St. James's Hall on December 11th last, with a view to placing before the public a scientific exposition of his much-discussed system of self-defence - Bartitsu.

The retirement of the Japs brought on the chief event set down for decision. This had nothing to do with Bartitsu, but was a wrestling match for £50 between A. Cherpillod, Swiss Champion of the Continent, and Joe Carroll, Professional Champion of England, under catch-as-catch-can Rules.

(引用元はどちらも「Journal of Western Martial Art」
https://ejmas.com/jmanly/articles/2001/jmanlyart_sandows_0301.htm)

バーティツ。シャーロック・ホームズが好きな方には有名かも知れません。スイスのライヘンバッハの滝の上で、ホームズが宿敵モリアーティ教授と揉み合いになった際、日本の格闘術「バリツ」を使ってモリアーティを滝壺に落とし助かった、というエピソードがあります。『空き家の冒険』でのホームズの述懐です。そこでコナン・ドイルが記したバリツなのですが、正確には「バーティツ」だという説が現在は有力なんです。

バーティツは、イギリス人のエドワード・ウィリアム・バートン=ライトが始めた自己防衛術・総合格闘術です。柔術・ボクシング・レスリング・サバット・ステッキ術などの要素で成り立っていました。彼は仕事で日本にいたとき、柔術を学んだことがあったのです。わたしが子供の時分は、バリツの正体は日本の武術だとか、柔術・柔道だとか、相撲だとか、馬術だとか諸説あったものですが、イギリス人が確立した格闘術のことだったわけです。

バーティツの拠点となったのは、バートン=ライトが設立した通称「バーティツ・クラブ」(正式にはバーティツ・アカデミー・オブ・アームズ・アンド・フィジカル・カルチャー)です。ここでは、ステッキ術・サバットの専門家、プロレスラー、柔術家などが雇われ、指導にあたっていました。女性のための護身教室も開かれていたみたいですよ。

漱石がレスリングを観たと書いた書簡の日付は、1901年12月18日であり、バーティツの大会と日にちの前後関係で整合性がとれています。また、会場もセントジェームズホールで同じです。加えて、スイスの王者vsイギリスの王者という点も合致しており、漱石が観た興行はこの可能性が高いと思われます。

なお、引用文中に出てくるスイス王者のArmand Cherpillodは、バーティツ・クラブでレスリングの指導員をしていたプロレスラーです。指導員時代には、日本人指導員との交流を通じて柔術の技術を習得。スイスに戻ってからは、日本の武術を教えていたということです。

さて、このバーティツの大会では、日本の柔術家たちによるデモンストレーションやエキシビションが行われました。しかしながら、柔術家による本式の試合は行われなかった模様。もし漱石の書簡にあったように、柔術家vsレスラーの勝負が実現し、柔術が勝利していたなら、説得力が格段に増していたと思います。きっとバートン=ライトとしては、小さい柔術家が大きいレスラーを投げ飛ばすシーンを観客に見せつけ、あっと言わせる腹積もりだったのでしょう。仮にそうなっていたら、漱石はどんな風に子規へ書き記していたことか。見てみたかったものです。
(つづく)

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