手もとから産声あげるその文字は今の私になってゆきます
千春さんにとっての書くことを表す一首だと思う。
千春さんの川柳、短歌、詩は、一見やさしそうでいて手強い。大胆に自己をひらいてくれているのに、わかった気になれない。絶妙のわからなさ加減に引き込まれてゆく。
トイレットペーパーの怯える命
ずっとここにいたい泥の匂いだね
こんばんは潮騒は足りていますか?
カラカラ怯えるトイレットペーパー。安心する泥の匂い。夜に必要な潮騒。ことばとなって現れた感性そのものが独特。句集全体を通して、作為や虚飾はあまり感じられず、実感ベースで書かれていると思う。誤解を恐れずに言うと、ふしぎちゃん系だ。
気づいたら、トイレットペーパーをやんわり手繰っていた。弱い生き物に接するみたいに。千春さんを通して、モノ、ことに触れなおすことで、世界が更新されている。
私は私が一番大事、脱ごう
ひくいところでくちびるをなめる
雪を練りはじめている私が産まれる
自分を大事にするために、生身をさらけ出す。私を語ろうとする、ひくいところ。雪を練って産まれる私。自己愛と自己否定にゆれる、モノローグ的作品も多い。私からはぐれないように、私を確かめるために、私を受け止めるために、湧き起こってきた感情を素直に書きとめているようにも感じる。
例えば、女の自分に慣れてきた
時間になる母にも樹にもなれない
初恋の人はみずうみ生理中
60年代に時実新子から広がった私の思い、女の思いを書く川柳。旧来の性役割を前提とした社会通念に反発しながらも、女であることからは解放されなかった。千春さんの女は、その延長線上とは別の角度から表現されている。新子から60年。性別に対する違和など新しいジェンダー観が、ついに川柳にも登場した。その点でも注目していきたい。
神様が泣き出したので背を撫でる
神様は玄関先でぐーぐー満ちる
読み終えて表紙に納得。やわらかくてじんわりぬくくて、油断ならない、猫のような句集である。