びいどろに金魚の命すき通り
(『俳諧武玉川』 より )
金魚の美しさは、「生物」としての美しさというよりも「物(オブジェ)」としてのそれに近いのかもしれません。
長い歴史の中で、人間の欲望や執念のままに何度も品種改良を重ねて創り上げられた、人の手なくしては生み出されず、人の手なくしては生き永らえない、そんな生物が金魚です。
その事を踏まえた上で読むと、やはりこの句の核は「命」という一語にあるのではないでしょうか。
前述の通り、金魚の美しさは自然から乖離した極めて人工的なものです。しかしそれでいて、金魚は決して「物」ではありません。周囲を取り巻くびいどろや日光や水とは全く異質の、「命」を持った「生物」なのです。そしておそらく、金魚はそれゆえに「美しい」のです。
「物」としての美しさをその身に宿しながら、その一方で金魚は確かに「生物」である。この句の「命」という一語には、その二律背反的な、ほとんど奇蹟のような金魚の存在性と美しさの理とが凝縮されているように思います。
絵だの彫刻だの建築だのと違って、とにかく、生きものという生命を材料にして、恍惚とした美麗な創造を水の中へ生み出そうとする事はいかに素晴らしい芸術的な神技であろう。
(『金魚繚乱』岡本かの子 より )
私 倉間しおり は、今回がほとんど初の投稿となります。
今後は毎月20日前後あたりに記事を更新していく予定です。
テーマは私にとって「弱点の言葉」である「動物」です。この記事ではその一つ目として、金魚の句を取り上げてみました。
よろしくお願い致します。
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