僕は、川柳についてあまりにも無知です。
(それなのに、偉そうなことばかり言っていて、すいませんでした)
「これではいかん」と思って、『セレクション柳人2 石田柊馬集』(邑書林、2005年)をあらためて読んでみました。
そして、巻頭のこの句に、があーん、とやられました。
妖精が……酢豚に……似ている?
んなあほな、と思いつつ、納得してしまう、何かがあるんですよね。
それはたぶん、妖精と酢豚の共通項を見つけることではなくて、「妖精」と「酢豚」って、やはり全然似ていないと思うんですよ。
そうでなければ、「似ている絶対似ている」と強調なんかしないわけで、これは、「似ていない」と言っているのも同じですね。
その二つが、「似ている」でイコールに結ばれていること。
それはたぶん、飯島章友さんの川柳論で言及されていた、「問いと答え」の問題とかかわってくるのでしょう。
「妖精は酢豚である」という「AはBである」というイコール。
でもこのイコール、極限まで突き詰めたたイコールなんですね。
「似ている」ということは、「同じ」ではない、もっとこう、暗い陥に落とし込まれることですから。
この句、「似ている絶対似ている」と呪言のように繰り返すことによって、「問答体」を越えてしまっているんです。
「問答体」を究めることによって、問答体という川柳の形式を問い直す、こう言っちゃ軽いですが、批評になっている。
だからこの句は川柳、というものの構造を考えさせられる句になっているし、メタ川柳、でもあると思うのです。
これからは酢豚をつくるとき(そして食べるとき)、妖精、が見えるといいな。
最後に。
僕は、「石田柊馬」という作家に、惚れてしまいました。
だからこの文章は、公の場を借りた、ファン・レターであります。
乱文お許しください。