長続きするやつ、長続きしなかったやつ、いまだに続いているやつ、それがおれなんだろう、続けなくちゃいけない、おれには続けられない、続けなくちゃいけない、だから続けよう、言葉を言わなくちゃいけない、言葉があるかぎりは、言わなくちゃいけない、扉をあければおれの物語、だとしたら驚きだな、もし扉が開いたら、そうしたらそれはおれなんだ、沈黙が来るんだ、その場ですぐに、わからん、絶対にわかるはずがあるもんか、沈黙のなかにいてはわからないよ、続けなくちゃいけない、続けよう。
ベケット『名づけえぬもの』
逃れないあなたになったおめでとう朝までつづく廊下おめでとう 我妻俊樹
O 我妻さんの一首です。つづくのって、こわいですよね。勇気のための川柳処方箋やっててもおもったんですけど、200回もつづいたらこわいじゃないですか、200回もやってるのにまだ勇気でてないのかって話しになりますよね、むしろおまえ臆病じゃないかと。つづくのってただそれだけでこわいし、ぶきみなんですよ。意味がでてきてしまうんですよ。つづくだけで。
A ある意味、〈過剰性〉とも結びついて来ますよね。
O この我妻さんの歌も、「朝までつづく廊下」を祝福されてますが、「朝」はなんどでもやってくるんですよ。ある意味、わたしはこれでいいんだ! って「逃れない」わたしとしての勇気の歌でもあるけれど、「つづく」って入ってきてる時点で、その場所でえいえんにふみとどまらなきゃいけない〈こわさ(怖さ/強さ〉〉がでてきてるとおもうんです。
縁側で君を殺していく つづく 樹萄らき
このらきさんの句も、「殺していく」のは一回性だからこわくはないけど、「つづく」のはこわいですよね。つづくということは、遅延や反復ももっていますね。おわらない恐怖です。
A そうか、たとえば、授業に出ていたとして、その授業がいつまでたっても終わらなかったらただそれだけで非日常だし、ぶきみですよね。アニメでよくある円環とかループにつながってきますね。


O コーエン兄弟の『バートンフィンク』のホテルの廊下も、おわらない・つづく〈こわさ〉がありましたよね。あの廊下って果てがないんですよ。たくさんのひとが死んでいくんだけれども、でもあのホテルには果てがない。あれだけの密閉感を演出しておきながら、廊下は無限なんです。あのホテルは次元がよじれてる。
A コーエン兄弟はボーリングのレーンを印象的に使ったりとか、たとえば『ビッグ・リボウスキ』でもボーリングのレーンが幻想的な空間になったりしてましたもんね。

O 終わらないこわさといえば、意味が決着しない、えんえんとよくわからない、でもどこかでみた風景をみつづけるというアラン・レネの恐怖のホラー映画『去年マリエンバートで』という映画があって、ええと……(続)

* 続かないです。