「裏側」に惹かれるのは、それが表の反対、陽でなくて陰だから、というわけではなくて、「裏」が隠された場所だからだと思う。
隠された場所を意識するのは、どこにでも行けるという思いに通じている。でもほんとうはどこにでも行けるなんてことは(すくなくともわたしには)ほぼ幻想で、だから「裏側」が魅力的なのかもしれない。
内田真理子さんの句、どこの裏側かとおもえば踊り場のそれなのである。
踊り場に裏側があるんだろうか。階段室のような空間であれば、踊り場は壁に接している。建物の、壁からはなれて配置された階段の踊り場は、床から浮遊して周囲には何もないことがみとおせているはず。
踊り場の裏側っていったいどこ?
それは三次元の世界に住む者からはすっかり隠されている場所。異なる世界。クラインの壺のなか。
「桜闇」は「踊り場の裏側へでる」という状況の比喩なのか。「桜闇」をぬけると「踊り場の裏側へ」至るということなのか。
異界にすっとはいりこんでしまうという感覚がおもしろく。
野も鳥も鏡裏から戻らない 石部明