(川柳スープレックス 15年10月 今月の作品 「のちのガルシア=マルケスである」より)
学生の頃、枕詞がすきでした。なかでも「あかねさす」「ぬばたまの」。それぞれ光と闇に冠された言葉。枕詞は5音で調子をととのえます。またかかる言葉が決まっているから、「ぬばたまの」と聞いたときから闇がひろがります。なんと便利なしかけ!短歌31音のなかの、効果的な5音なわけですが、川柳のなかでは占有度が高いです。でも「噴水くらいにこのあかねさす村木道彦」のなかの「あかねさす」はさりげない。それは上句が8音、下句が7音、と字余りのリズムも関係しているかもしれません。また「噴水くらいに」というフレーズや「あかねさす」に「この」をつける軽やかさも効いているのでしょう。そして「あかねさす」に続く「MURAKI」の音は、万葉の歌(あかねさす紫野行き標野行き・・・・)を思い出させ、AKANESASUMURA・・・と音がすんなり腑に落ちます。(紫がかの時代には明るいイメージだったんですね)
「噴水くらいに」がいいです。するっと口語のようで、音の切れ方に独特の余韻があります。
噴水の、つぎつぎあがってはたまさかの形をなすあかるさ。それは村木道彦とひびきあうものなのでしょうか。
切れ方といえば村木道彦の「するだろう」の句。
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら 村木道彦