編集兼発行人 岡田俊介
「現代川柳 新思潮」は平成5(1993)年、故片柳哲郎によって創刊された。
片柳哲郎は昭和26(1951)年、関東で川柳革新を主導した中村冨二の「鴉」創刊に加わり、格調高い文語体的抒情性によって一時代を築いた。そんな片柳の句集『黒塚』が発行されたのは昭和39(1964)年である。以下、同句集から少し引用してみよう。
父に秘あるがごとく いまぞ夕日
早春の右手に触れるはわが肋骨
ともしびや静脈浮かせ飯ひろう
兄弟やアスフアルト掘る埋める 掘る
月の視野 誰か双刃を砥ぎ居たり
ロイド眼鏡の驢馬が麦食う口開けて
埋葬や琥珀のパイプ拭きつ帰る
昭和39年といえば歌壇では前登志夫の『子午線の繭』と岡井隆『朝狩』が刊行され、前年には葛原妙子の『葡萄木立』と山中智恵子の『紡錘』が、翌年には寺山修司の『田園に死す』が刊行され、まさに前衛短歌の時代である。ジャンルこそ違えど、片柳哲郎の川柳には同じ時代のにおいがある。ちなみに川柳界でも、時実新子の『新子』が前年の昭和38年に刊行されている。以下、それぞれの歌集・句集より。
かなしみは明るさゆゑにきたりけり一本の樹の翳らひにけり 前登志夫
肺尖にひとつ昼顔の花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は 岡井隆
口中に一粒の葡萄を潰したりすなはちわが目ふと暗きかも 葛原妙子
いづくより生れ降る雪運河ゆきわれらに薄きたましひの鞘 山中智恵子
売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき 寺山修司
花火の群の幾人が死を考える 時実新子
さて、前置きが長くなったが正会員作品欄「新思潮」より少し引いてみる。
【新思潮】
月光の浄土へ帰す砂の面 杉山夕祈
合鍵のひとつが冴えて眠れない 坂東弘子
カルピスな声で感嘆符をふやす 澤野優美子
そして終章 広がりわたる水絵巻 みとせりつ子
百日紅亡霊ばかり見てしまう 矢本大雪
二件目は思い出抜きというルール 古俣麻子
キリンしか描けない父の動物図鑑 山崎夫美子
次次に闇入れ替えてゆく花火 福井陽雪
騙し絵に気がつく人と遠ざかる 吉田州花
星蝕のいずこともなく青が流れ 岡田俊介
銀の孤島空の深さを漂えり 西田雅子
ラルラルと早朝に干す白いシャツ 月野しずく
ひめやかに進みておらむ秋の羽化 松田ていこ
虫の声 結界からの小暗がり 岩崎眞里子
百円の傘はもとより不貞腐れ 古谷恭一
オペ終わる ひまわりでしたと医師が言う 姫乃彩愛
縄とびの輪からことだま還りなむ 西条眞紀
目に揚羽病み上がらんとするひとの 細川不凍
全体の印象として、世界の中の〈濡れ〉を見つめる姿勢が強く感じられ、それがリリカルな詩性へとつながっている。その意味で、伝統川柳の〈うがち〉〈かるみ〉〈おかしみ〉の要素はあまり感じられない。
また「川柳カード」誌のように、〈コトバ〉を立ち上げるために〈私〉が黒子に徹する作風とも違う。「新思潮」において〈コトバ〉は、あたかも夕日のように世界を照らすものであり、それによって〈私〉は影法師のように長く、大きく、立ち上がる。その意味で、「川柳カード」と対照的だ。
〈私〉や〈リリシズム〉が主という点で、「新思潮」は、時実新子の流れを汲むグループと通じあう作風かも知れない。しかし、「新思潮」のばあい片柳哲郎の影響だと思うが、たとえ口語体であったとしても〈文語的発想〉から川柳が生まれ、その結果として〈文語的リリシズム〉を醸しているように思われる。そのような文語的濃度に着目したとき、新子派とはまた違う質感を備えているのである。
現代川柳新思潮