羽のびるホック外したところから 早川柚香
わたしが子供の頃からよく通る道に鳥類を扱うペットショップがあります。その店の前には、まるで看板娘のように、フクロウがいつも横木にとまっているのです。よく馴れていて、けっして飛んで逃げることはありません。それがとっても可愛くて、子供の時分は店の近くまでくるとワクワクしたものです。でも、たまにですけど、畳んでいた羽をぐわーっとひろげて大きく伸び(?)をすることがあるんです。昔はこちらも小さかったんで、そんなときはちょっとビビってしまいました。掲句を読みしばらく経ってからそんな記憶がよみがえってきたのです。ただ忸怩たる思いなのは、これほど素敵な句なのに初見のときはまったく別のことを連想したのです。イッチョメ イッチョメ ワオ! ……すみません、わからないひとは置いていきます。
三センチ伸びた淋しさ卵割る 米山明日歌
辞書を引くと、「淋しい」はもっぱら人が孤独を感じているニュアンスに用いられるのだそうです。様子や情景ではなく、心理的な孤独感を表すのですね。ですから語り手は、何かが三センチ伸びたことによって孤独を感じているのでしょう。でも下五で卵を割ったことによって、中七までの淋しさが(たとえほんの一瞬であっても)断ち切られた感覚が伝わってくる。これで見事に句が締まりました。掲句では何が三センチ伸びたのかは明示されていません。でもそれこそ17音の良い面だと見るべきかも知れません。というのも、これ以上文字数が多かったら野暮だと思うんです。仮にあと14音多かったなら、たとえば「長ネギが三センチも伸びるほど貴方に逢えないままで淋しい。しゃぶしゃぶの卵を割ろう」なんて平平たる内容を書く破目になるかも知れないのですから。
すごくやさしいもっとやさしい蜘蛛の糸 三好光明
と思って油断しているとやっぱり切れちゃう。これは今年一番の怖い句です、まだ三か月しか経っていないけど。平仮名で書かれた「やさしい」のリフレインが罠のように思えちゃう。しかも「すごく」「もっと」まで付いているんですよ。これは怖い。蜘蛛の糸や蜘蛛の巣って情緒がある反面、個人的にはちょっと怖いんです。おそらく子供の頃に、1958年のSF映画『ハエ男の恐怖』をテレビで観たからだと思います。その映画では、顔と腕が人間のハエが蜘蛛の巣にかかってしまい、捕食される寸前のシーンがあるのですが、掲句を読んだ後、ハエ男がミクロサイズの声で「助けて」と叫ぶのがよみがえってきちゃいました。余談ですが、わたしは『夏の夜の夢』みたいに頭が動物でその下は人間というのは平ちゃらなんです。でも頭がヒトでその下が動物となるとゾッとします。なぜなのでしょうね。
あ、というかたちのままで浮かぶ声 瀧村小奈生
浮かび上がるものとして「声」を捉えているところが素敵です。その声が「あ」であるところもいい。「あ」は〈あわ〉や〈あぶく〉に通じます。また中七「かたちのままで」の4つのa音は、「あ」のかたちが保持されたままの様子がイメージされますし、下五「浮かぶ声」の2つのu音と1つのo音は、口をすぼめる発音であることから泡の形状がイメージされます。
芒ゆれて常にもがもな風もがな 同
「常にもがもな」というと、源実朝の〈世の中は常にもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも〉を思い出します。百人一首に入っている歌ですね。もがな・もがもなは願望を表す、と古典の授業で習うものだと思います。掲句でもそれでいいと思うのですが、「もがもな・もがな」のリフレインはオノマトペとしても機能しているように思います。風とそれに揺れる芒の音でもあり、風景と同化していく語り手の心情の音でもあり。永井陽子の短歌〈べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊〉を思い出しました(『樟の木のうた』、短歌新聞社、1983年)。
(おわり)
春ですね。
『ねじまき#7』の鑑賞、ありがとうございました。
「どうも、どうも、どうも」をきちんと受け取っていただけてうれしかったです。
それと、川柳へのアクセスの仕方の記事も感謝です。
わたしがお礼をいうのもなんかへんなかんじではあるのですが、どうしてもお礼をいいたかったのでした。
では、また。
川柳の世界。知ってほしいという思いと、内緒にしておきたいという思いがあって変なのですが、とにかく楽しくやっていきたいです。今後もよろしくお願いします。
羽のびるホック外したところから
この句から、イッチョメ イッチョメ ワオ!
さすがの読みです。
もうそれにしか見えません(笑)
コメントありがとうございます。イッチョメをわかっていただけてよかったです。hibi、大型店でよくお見かけします。また、今年の川柳界は句集で盛り上がりそうです。
今年も楽しくいきましょう!