2021年10月08日

倉本朝世著『硝子を運ぶ』を読む

この半年ほど何かと出力ばかりしてきたので、ここ数日はいろいろと入力をしつつ過ごしています。平岡直子さんや笹川諒さんの歌集を手に入れて読んでみたり、むかし手に入れた句集や歌集を読み返したりもしています。その中の一冊で今日ご紹介したいのは、倉本朝世第一句集『硝子を運ぶ』(詩遊社、1997年)です。

同書が発売された時期は、いまの所謂「現代川柳」につながる流れが出てきたころだと思います。1998(平成10)年に石部明・加藤久子・佐藤みさ子・倉本朝世・樋口由紀子各氏による同人誌『MANO』が創刊され、2000(平成12)年には『現代川柳の精鋭たち 28人集―21世紀へ』(北宋社)が発売されました。

魔法瓶・月曜日・胎内区・ニュース速報・ベッド・硝子を運ぶ、からなる章の冒頭には、そこの句群と共鳴するような短文が添えられています。たとえば胎内区の章の冒頭は次のとおり。

空き瓶収集家の男と一緒にバスに乗っていた。
バスが振動するたびに男のかばんがガチャガチャと鳴る。
不意に
「次は胎内区、終点です。」
とアナウンスがあり、乗客がいっせいに立ち上がった。
見ると、乗客のからだはみんな透明な硝子瓶で、その中ではきれいな水が揺れていた。

同書の4年後に発売された、なかはられいこ著『脱衣場のアリス』(北冬舎、2001年)にも、各章の冒頭に詞書が添えられています。昔の句集全般を読んだわけではないので違っているかも知れませんが、川柳句集に作家的な構成意識が目に見えて出始めたのは2000年前後からではないでしょうか。

そもそも川柳界では句集自体があまり出版されてきませんでした。あったとしても、それは大物の柳人の総合作品集であったり、句会で入選した川柳を時系列で収録した句集であったりして(もちろんこれらも貴重なお仕事であります)。

それでは以下、倉本さんの川柳を見ていきましょう。

 童話のページ深くて桃は冷えており

童話のページが冷蔵庫か貯蔵室であるかのように想える不思議。

 北を指しゼラチン質の恋すすむ

右左をきょろきょろする東や西ではなく、うしろ向きの南でもなく、まっすぐに前を指してすすむゼラチン質の恋。でも北は寒いのでゼラチンが溶けるとはかぎらないし、北は「北げる=逃げる」にもつながります。一途な恋心を詠んでいるかと思いきや、単純にはいかない恋かも知れません。そう言えばわたしの若書きに「ゼラチンが揺れます溶けます好きです」というのがありました。ちょっと恥ずかしい。

 空き家から大きな心音が漏れる
 カタカナ語禁止区域に咲くダリア

空き家の増加が社会問題になっていたり、トニー谷やルー大柴が可愛く思えるほどカタカナ語が氾濫していたりする「現在」から読むと、当時と違った読みが生じるかも知れませんね。

 一字ずつ覚える殺し屋の名前

殺し屋よりも、ある意味この人のほうがコワいという。

 ぎこちなく背中の沼を揺すり合う

「背中には川が流れておりますか」(畑美樹)を思い出します。人間はみな、その人の生きる環境なり、業なり、人生の時期なりによって背中に海や湖があったり、沼があったり、川があったりするもの。でも、もしそれが「池」だったら大人としてはちょっと切ない。しかもボールが浮いている池だったりしたら、もう。

 少年は少年愛すマヨネーズ

マヨネーズという大衆的な調味料を添えているのがいいですね。けっしてはマヨラーではないのだけど、マヨネーズは万能! と言いたい。

 ラップごしだから戦争はなめらか

「世界からサランラップが剝がせない」(川合大祐)とあわせて読みたい川柳。

 名前からちょっとずらして布団敷く

寝る、という行為はこういうことなんじゃないかと思わされます。眠る前と起きた時との人格に同一性はあるか、などと哲学的に考えてのことではない。日々の実感からそう思えるのです。これも「夜具を敷くことも此の世の果てに似つ」(川上日車)とあわせて読みたい。

倉本さんは現在、あざみエージェントで出版・編集・あざみの会の運営・YOUTUBEへの動画投稿などをなさっています。川合大祐の第一句集『スロー・リバー』も倉本さんの尽力が大きいのです。

『硝子を運ぶ』のあとがきに倉本さんはこう書いています。これ、すごくよくわかるんですよ。

ここに一枚の硝子がある。
これは私が日常をきちんと生きるための硝子であり、日常に埋没してしまわないための硝子でもある
私が川柳を書き始めてから六年余りの間に、この硝子から見えた百の風景をこのようなかたちでまとめることになった。もし、私が少しでも日常をおろそかにしたなら、また逆に少しでも日常に押し流されたなら、たちまち私の川柳は色褪せたものになってしまうだろう。


posted by 飯島章友 at 23:56| Comment(0) | 川柳句集を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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