2022年04月11日

『なしのたわむれ』と狂歌

このブログに何度も文章をご寄稿いただいた小津夜景さんがヴィオラ・ダ・ガンバ奏者の須藤岳史さんと本を刊行されました。『なしのたわむれ 古典と古楽をめぐる手紙』(素粒社)です。お二人の往復書簡の体裁になっています。

注目したのは小津さんが与謝野晶子に「狂歌」の遺伝子を見出していたところです。小津さんのブログでは本の出るだいぶ前、そのことについて書かれていたと思いますが、それを読むまでは晶子と狂歌の関係性など、はずかしながら考えてもみませんでした。『みだれ髪』って新しさとか奔放な情熱とかが指摘されがちです。でも、狂歌的な理知の面はあまり指摘されることがないような。晶子は政治思想や社会思想でも進歩的な面ばかり強調されますが、じつはそう都合のいい人でもなかったんです。歌においても同じなのでしょうね。

狂歌といえば、先行する和歌の文句取りやもじりなどがいろいろあります。狂歌の代表的な作家である大田南畝の作品にも、百人一首の歌や歌人を題材にしたこんなものが。

わが庵は都の辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治 
いかほどの洗濯なればかぐ山で衣ほすてふ持統天皇


1首目は宇治の「う」を卯になずらえて十二支をぜんぶ盛り込むという趣向。2首目は「どれだけ洗濯物が沢山あんねん!」という漫才的なツッコミ。雅な世界を俗に下ろして面白がるところに、百人一首への親しみが感じとれます。

与謝野晶子の歌に話を戻すと、小津さんは第20信「みえないたくらみ」で、晶子の歌を類似する狂歌(や狂歌的な歌)と並べて鑑賞しています。その中から1セット引いてみます。

ほととぎす自由自在に聞く里は酒屋へ三里豆腐屋へ二里  頭光つむりのひかる
ほととぎす嵯峨へは一里京へ三里水の清瀧きよたき夜の明けやすき  与謝野晶子


頭光は狂歌四天王の一人。小津さんの言葉でいうと、晶子の歌は「ラップ的手法で攻めたそのクールさ」が魅力。♪ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜の明けやすき HEY HO! みたいな。

ところで狂歌というジャンル、何と! 明治になっても衣替えをして人気を博していたんです。詩文学の歴史に興味があるならご存じの方も多いでしょうか。その人気は石川啄木の文章からも窺い知れます。啄木が明治42年4月11日の「ローマ字日記」にこんなことを書いているんです。

例のごとく 題を出して 歌をつくる。みんなで 十三人だ。選のすんだのは 九時ごろだったろう。予は この頃 まじめに歌などを作る気になれないから、あい変らず へなぶってやった。そのふたつみつ。(筆者注:原文はローマ字表記)

「題を出して歌をつくる」とは、与謝野鉄幹・晶子夫妻の家で催されていた徹夜の題詠歌会のこと。このへなぶるという言葉がポイントです。当時、読売新聞では「へなぶり」という名称の明治新狂歌が人気を博していました。へなぶってやった、とはそこから来ている言い回しだと思われます。ちなみに日記には、二つ三つと言いながら歌が9首書かれています。その中から啄木のへなぶり歌を2首引いてみましょう。こちらも原文はローマ字表記です。

ククと鳴る鳴革なりかわ入れし靴はけば蛙を踏むに似て気味わろし
君が眼は万年筆の仕掛けにや絶えず涙を流していたもふ


まあ、これが狂歌かといわれれば少し趣が違う気がします。啄木は、真面目に歌などつくる気になれないからへなぶった、と書いていました。だから、不真面目だったり戯れ言だったりする歌、という意味合いでへなぶるを使ったのかも知れませんね。この後の日記には、歌会をばっくれたことが書かれています。なにはともあれ狂歌を踏まえた歌をつくっていた晶子の歌会で、啄木がへなぶり歌なんて書いていたとは愉快ではありませんか。

「へなぶり」の創始者のことにも触れておきます。それは田能村秋皐たのむらしゅうこう、筆名を朴念仁や朴山人という読売の記者です。最初は川柳欄の選者をしていましたが、明治38年2月24日に読売新聞紙上に朴念仁の「へなぶり」欄が新設されると読者投稿もされるようになり、大人気となったのでした。

ただ、前言を翻すようで恐縮ですが、朴念仁に先行する人物がいたんです。それは根岸派歌人だった阪井久良伎。久良伎は「へなづち」と称して狂歌体の短歌を新聞「日本」に掲載していました。

阪井久良伎。川柳をしている人ならば井上剣花坊と共に川柳中興の祖として知っている大人物。でも、最初は歌人として創作活動をしていたんですね。久良伎のへなづちが盛んだったのは明治33年から35年といいます。新狂歌をブームにしたのは朴念仁でしたが、そのきっかけを作ったのは久良伎だったわけです。柳人が時流に乗るのが下手なのは、今も昔も変わらないようですね。でも、だからこそ川柳界は居心地がいい。

面白いのは、へなづちもへなぶりも共に鉄幹・晶子の「明星」を標的にしていたことです。次の歌は最初がへなづち、次がへなぶりです。

絵にも見よ誰れ腰巻に紅き否む趣あるかな鰒びとる蜑
恋ごろも菫々菜すみれの押し葉もてあそび式部三人牛店ぎうやを出づる


浪漫風の明星調は新狂歌からすれば格好のターゲットだったのかも知れません。それにしても可哀想な晶子。

へなづちやへなぶりについてさらにお知りになりたい方のため、わたしの所有している本を書き留めておきますね。

・尾藤三柳評論集 川柳神髄(尾藤三柳著、新葉館出版、2009年)
・石川啄木・一九〇九年(木股知史著、沖積舎、2011年)
・川柳探求(前田雀郎著、有光書房、1958年)  ※へなづち・へなぶりの名前の由来の推定についてのみ
国立国会図書館デジタルコレクションで『へなづち集』や『へなぶり』を閲覧できます
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