ふらすこてん句会(京都)のメインイベントは3人選である。
筒井祥文、兵頭全郎の選者はほぼ固定で、プラスひとりの今回の選者は嶋澤喜八郎。お題は「神」で2句を投句。進行役はくんじろう。
投句は作者名を伏せて印刷、参加者へ戻される。今回は29名(選者含む)の作品が番号とABを振られて58句並んでいた。参加者はその58句をせっせと読む。選句の結果を書き込み、記名し提出するのだ。
参加者の持ち点は5点。配分は自由だが、あれやこれやと目移りして5句に各1点をふることになる。
まず選者が選と理由を述べる。他の選者と選が違えば選ばなかった理由を。視点がそれぞれで興味深い。参加者も意見を求められる。
さて掲句には最高点10点が入った。
選者で点を入れたのは嶋澤喜八郎で、筒井祥文の評は「なかなかおもしろい見つけ。ただそれとなくわかるはどうか」兵頭全郎は「『それとなくわかる』が長い」。だが名をあかされた作者は「『それとなくわかる』がいいんです」と。
そうだよなーと思った。
「それとなくわかる」という場面には偶然性が感じられるから、たとえば「なんとなくわかる」と言い換えてみる。でも「それとなくわかる」と「なんとなくわかる」では全然違う。「なんとなくクリスタル」が「それとなくクリスタル」になると厭味だし、「なんとなくカレシがいるかたしかめた」と「それとなくカレシがいるかたしかめた」では意思の強さが違う。「それとなく」得られた場面には、曖昧さがあまりないんだろう。
ほかに言い換えるとしたら「さりげなく」とか「なにげなく」といった言葉なんだろうか。「なんとなく」より近いけれど、何だか語感がぼんやりしている。
はじめから神様の眉毛を探そうとしていたわけではないのだ。ただわかってしまった。そのときの知覚のくっきりとした状態をあらわすにはやはり「それとなく」がぴったりなのだ。「それとなく」という言葉は自然さと知覚の際だった感じを併せ持っている。
そして「神様の眉毛」という発想がいい。「神様の目」では、目が合ったところから関係性ができてしまう。眉毛だから、はっと気づいて、気づいたけれどすれ違っていける。こころはたしかに動いたけれど、さほどは求めていないふうな、微妙さがいい。
そしてそしてなによりの魅力は、神様の眉毛について考えたことがなかった読み手を、なるほど、そのときがくれば神様の眉毛がきっとわかるんだろうと思わせてしまうところだ。
(参加者の何人からそういう声があり、わたしも同感だった)
知らなかったけど、言われてみればそうだなぁ。そんなふうに感じさせる。納得させられるここちよさ。
川柳でいう「みつけ」って、ひとのなかに少なからずあって、まだ言葉になっていないところを掬いあげるってことなのかな、とひとまず考えています。