小津夜景
ブローティガンの作品はつねに無類の《貧しさ》と共にありました。彼は奇妙に病んだ人々の世界を、かぐわしい想像力と才迸る言葉によってキラキラと嘉しました。彼の作品に出て来る人々は孤独です。そして孤独な人々はだれしも素敵なのでした。
東京の初夏にブローティガン 生きよ 川合大祐
はじめて目にした時、ああ、わたしが書きたかったのはこれだ!と思ったほど気に入った句です。
以前わたしは『スロー・リバー』初読の感想を次のように書いたことがあります。
《休日の朝の、ささやかな幸福。さらっと正気なことを書けば、川合大祐にとってのSFとは、他には何ももたず、ただ己の想像力だけを武器にして孤独を生き抜いた時代に固く握りしめていた、今も手に残る銃弾のようなものであるにちがいない、と思う。》(筆者ブログ「これがSFの花道だ」)
このように書いたときわたしの脳裏にあったのは実はブローティガンのことでした。想像力を武器にこの世界を生き抜くブローティガンのキュートな人生を見て、どれだけの読者が勇気づけられたことでしょう。それと同じ感覚を、わたしは『スロー・リバー』の佇まいに覚えたのです。
けれども、結局、ブローティガンはその生涯を最後まで生き抜くことはありませんでした。
この句の「生きよ」はブローティガンに対する、そして作者自身に対する(またこの句を読んだわたしに対する)命令です。
作者(かつわたしは)はブローティガンを埋葬します。ブローティガンに「生きよ」とくりかえし命令しながら。
そういうわけで作者は(かつわたしは)ブローティガンに「生きよ」と念じつつ埋葬するために、今日も一日を生き抜くのでした。
ところで、ブローティガンという人は「じょぴ」にとてもよく似ていると思いませんか? わたしは心の底からそう思います。
《かれは1976年5月にはじめて日本にやってきた。1ヶ月半あまりの滞在のあいだ、かれは日記をつけるように詩を書いていった(中略)この詩集の作品は、その6月30日までの滞在のあいだにブローティガンが日本で何をしたか、何を見たか、何を感じたかを記録している。こんなふうに詩を書いてゆけるというのは、かれがこんなふうに詩を書いてゆく以外にきりぬけるすべのなかった深い孤独の中にあったということでもある。》(ブローティガン『東京日記』訳者あとがき)
【ゲスト・小津夜景・プロフィール】
句集『フラワーズ・カンフー』。日記はこちら。