今年の3月18日にチャック・ベリーが死んだ。
居て当たり前、という存在だった。死んだというニュースを聞いたとき悲しい感じはしなかった。〈死んだ〉という客観性と〈いつも居る〉という主観性の中間地帯で恍惚とする感覚だったな。
チャック・ベリーのライブは一回だけ行ったことがある。1997年3月の赤坂BLITZ。おっちゃんばかり来ているのかと思ったら、二十歳前後のギャルもそこそこ来ていて意外だった。もちろん、むかし原宿のホコ天でローラー族とかやってたんじゃね?っていう不良中年もいた。リーゼントに革ジャン姿のね。俺もあと一回りはやく生まれていたらその中に混じっていたかもしれない。
彼のライブでは「キミとキミと、あとはキミ」みたいな感じで任意に女の子が選ばれ、ステージに上げさせてもらえることがよくある。赤坂BLITZでも、90年代ファッションに身を包んだギャルたちが彼から選ばれ、曲に合わせてステージで踊りまくっていた。あの光景は不思議だったなあ。チャックの激しいビートでタイムクラッシュが起き、50年代後半のアメリカのロック会場に今どきの日本のギャルたちが突如現れちまったような。
でも、チャック・ベリーって、日本ではビートルズやストーンズと違い、けっしてポピュラーな存在ではない。むしろ「ジョニー・B・グッド」「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」といった彼のヒットナンバーのほうが有名だ。ロックのスタンダードになっているからね。でも、彼だけじゃない。エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、ジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリー、エディ・コクランといったフィフティーズが総じてそうだと思うよ。エルヴィスですら、もし話題にあがるとしたら、世界で初めて衛星生中継された1973年の「アロハ・フロム・ハワイ」の思い出くらい。それならまだいいんだけど、あとはドーナッツをどうしたこうしたっていうしょーもねえ話ばっかでしょ。
ロックの歴史が語られるばあい、日本ではたいてい60年代半ばから始まって、1955年〜1963年はロック前史という扱いだと認識している。ビートルズからを「ロック」、それ以前は「ロックンロール」というぐあいに、自分なりの史観にもとづいて言葉の使い分けをするなら分かるんだけど、なんだろう、ビートルズ以前は「オールディーズ」で纏める習いになっちまってる。オールディーズの中でも、特にビートルズやストーンズのルーツにあたるものを「ロックンロール」と呼んでおこうか、みたいな。
十代のころからこれが不思議でならなかった。学生時代に考えたことがあるんだけど、これってひとつは、エルヴィス・プレスリーが人気絶頂だった昭和30年代前半に来日しなかったことが原因かもね。あともうひとつは、ジャパニーズ・ロックを創っていった世代が主にビートルズやボブ・ディラン、ストーンズから影響を受けていて、チャック・ベリーはビートルズとかを通じて初めて聴いた、といった事情もあるんじゃないかな。もちろん、原因はもっといろいろだろうし、ロックンロールは所詮アメリカの文化なわけだから、しゃーないと言えばしゃーないんだけどさ。イギリスだって最初はアメリカからロックンロールを輸入したわけで、クリフ・リチャードやヴィンス・テイラーの位置づけで似たような問題があるかもしれない。イギリスのロック史観は何も知らないけど。
ちょっと愚痴っぽくなった。
要は、チャック・ベリーが大好きなんだよ、俺は。彼の書いた『チャック・ベリー(自伝)』
(中江昌彦 訳・音楽之友社)を読むと感じるのだけど、小難しいことは抜きにして、ただただチャックベリーを楽しんでもらいたい、そういう姿勢を確かに彼はもっている。俺がフィフティーズの音楽を好むのも、あの時代のパフォーマーとオーディエンスにそれを感じるからだ。有名なダックウォークもそういう姿勢から生れたんだろうね。
ゴムボールと追っかけっこをしたのは楽しい思い出だ。ある時、俺は、テーブルの下で弾んでいるボールをつかもうと躍起になっていた。家に客が来ている時に騒ぐと普段なら必ず怒られたものなのだが、この時は俺がボールを捕まえようとする仕ぐさが余程面白かったらしく、お袋が入っていた聖歌隊のメンバーが大笑いを始めた。テーブルの下にすっぽりと入って、首を上に突き上げ、膝を折った姿勢でボールを追いかけて前に進む。このしゃがみ込みスタイルはお客さんがくると、よく家族にリクエストされるようになり、俺自身もこの芸をするのが楽しみになった。
一つの芸の誕生というわけだ。
(『チャック・ベリー(自伝)』P25〜P26)