2017年12月31日

ルーツ・オブ・ロックンロール

今年はチャック・ベリー、ファッツ・ドミノというロックンロール創成期のスターが死去した。

20代前半の頃はルーツ・オブ・ロックンロール、ルーツ・オブ・ロカビリーについて、アメリカの時代背景とあわせて探っていたのだが、今年は二人のロックスターの死もあって、むかし読んだロック関連本を読み直してみた。ちなみに、『ロカビリービート』(鈴木カツ)、『ロックン・ロールの時代(ロックの歴史) 』(萩原健太)、『ビートルズの時代(ロックの歴史) 』(大鷹俊一)の三冊。ネット動画なんてなかった90年代、これらの本で紹介されているミュージシャンのCDやVHSをタワーレコードやHMVで買いまくったものだ。

最初のロックンロールは何か、という議論があって、ファッツ・ドミノの The Fat Man(1950)、ジャッキー・ブレンストン&ヒズ・デルタ・キャッツの Rocket 88(1951)、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの Rock Around the Clock (1954)が挙げられることが多い。でも文化というのは、どんな分野でもそうだと思うけれど、定義しきれるものではない。わたしは研究家でも批評家でもないから難しいことは分からないけど、1945年にはもう激しいブギウギサウンドがいっぱい出てきていたと思うし、1950年になると、あとはロックスターの出現を待つだけ、というくらいR&Bが進化していたと思う。

でも、エルヴィス・プレスリーやジェリー・リー・ルイスが生まれた1935年、すでにロックンロールのルーツと呼べそうなサウンドを出していた人がいる。ココモ・アーノルドというブルースマンだ。彼の The Twelves(1935)というナンバーを聴くとじつにロックンロールしているし、あたかもサン・レコードのロカビリーを聴いているようでもある。 これでリードギター・リズムギター・ベース・ドラムの構成をとればロックンロールになるんじゃね? とわたしは思ってきたのだった。

それではみなさん良い年をお迎えください!






2017年12月13日

目を見てて目だけ残して消えますよ  東 李桃


 目を見てて目だけ残して消えますよ  東 李桃

「恒信風」第五号より。

わたしが川柳を作句しはじめた2009年当時、(ああ、こういう川柳を書きたいなあ……)と感じていた川柳人が幾人かいる。たとえば石部明さん。たとえば清水かおりさん。たとえば畑美樹さん。でも、川柳人以外にも参考にした書き手がいる。それが俳句同人集団「恒信風」で活躍されていた東李桃さんだ。

初見で、これは俳句なのか!? と驚いた。と同時にこういう川柳を作ってみたいという気持ちがわいてきた。このたわむれ感。この幻術感。そして、そこはかとなく対象への愛情が感じられる言葉遣い。この句から受けるそれらの印象が、当時のわたしにとっては川柳っぽさにつながっていった。

 引つかかつた時のかたちに乾く布

こちらも李桃さんの作品だが、こうなるといっそう川柳っぽい趣がある。内容や句意は違うけど「キリストのかたちで鮭が干しあがる」(菅原孝之助)という、ちょっと似た言い回しの川柳を憶えていたからかも知れない。

李桃さんが同誌に登場したのはこの第五号からのようで、まだ俳句に慣れていない感じがする。しかし、それが川柳を作句しはじめたころのわたしにとって、親しみやすさにつながったのだろう。おなじ五号には以下のような句もある。川柳をはじめたころが懐かしい。

組み伏してしまふ仏の顔をして   東 李桃
けんかごしの会話はじまる入道雲
くちびるの砂糖をどうぞかぶと虫
ゆびさきに火薬の匂ひ良い夢を
ラマの目の青年白い菊はこぶ



『恒信風』

2017年10月16日

チャック・ベリーのこと



今年の3月18日にチャック・ベリーが死んだ。
居て当たり前、という存在だった。死んだというニュースを聞いたとき悲しい感じはしなかった。〈死んだ〉という客観性と〈いつも居る〉という主観性の中間地帯で恍惚とする感覚だったな。

チャック・ベリーのライブは一回だけ行ったことがある。1997年3月の赤坂BLITZ。おっちゃんばかり来ているのかと思ったら、二十歳前後のギャルもそこそこ来ていて意外だった。もちろん、むかし原宿のホコ天でローラー族とかやってたんじゃね?っていう不良中年もいた。リーゼントに革ジャン姿のね。俺もあと一回りはやく生まれていたらその中に混じっていたかもしれない。

彼のライブでは「キミとキミと、あとはキミ」みたいな感じで任意に女の子が選ばれ、ステージに上げさせてもらえることがよくある。赤坂BLITZでも、90年代ファッションに身を包んだギャルたちが彼から選ばれ、曲に合わせてステージで踊りまくっていた。あの光景は不思議だったなあ。チャックの激しいビートでタイムクラッシュが起き、50年代後半のアメリカのロック会場に今どきの日本のギャルたちが突如現れちまったような。

でも、チャック・ベリーって、日本ではビートルズやストーンズと違い、けっしてポピュラーな存在ではない。むしろ「ジョニー・B・グッド」「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」といった彼のヒットナンバーのほうが有名だ。ロックのスタンダードになっているからね。でも、彼だけじゃない。エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ボ・ディドリー、ジェリー・リー・ルイス、バディ・ホリー、エディ・コクランといったフィフティーズが総じてそうだと思うよ。エルヴィスですら、もし話題にあがるとしたら、世界で初めて衛星生中継された1973年の「アロハ・フロム・ハワイ」の思い出くらい。それならまだいいんだけど、あとはドーナッツをどうしたこうしたっていうしょーもねえ話ばっかでしょ。

ロックの歴史が語られるばあい、日本ではたいてい60年代半ばから始まって、1955年〜1963年はロック前史という扱いだと認識している。ビートルズからを「ロック」、それ以前は「ロックンロール」というぐあいに、自分なりの史観にもとづいて言葉の使い分けをするなら分かるんだけど、なんだろう、ビートルズ以前は「オールディーズ」で纏める習いになっちまってる。オールディーズの中でも、特にビートルズやストーンズのルーツにあたるものを「ロックンロール」と呼んでおこうか、みたいな。

十代のころからこれが不思議でならなかった。学生時代に考えたことがあるんだけど、これってひとつは、エルヴィス・プレスリーが人気絶頂だった昭和30年代前半に来日しなかったことが原因かもね。あともうひとつは、ジャパニーズ・ロックを創っていった世代が主にビートルズやボブ・ディラン、ストーンズから影響を受けていて、チャック・ベリーはビートルズとかを通じて初めて聴いた、といった事情もあるんじゃないかな。もちろん、原因はもっといろいろだろうし、ロックンロールは所詮アメリカの文化なわけだから、しゃーないと言えばしゃーないんだけどさ。イギリスだって最初はアメリカからロックンロールを輸入したわけで、クリフ・リチャードやヴィンス・テイラーの位置づけで似たような問題があるかもしれない。イギリスのロック史観は何も知らないけど。

ちょっと愚痴っぽくなった。
要は、チャック・ベリーが大好きなんだよ、俺は。彼の書いた『チャック・ベリー(自伝)』(中江昌彦 訳・音楽之友社)を読むと感じるのだけど、小難しいことは抜きにして、ただただチャックベリーを楽しんでもらいたい、そういう姿勢を確かに彼はもっている。俺がフィフティーズの音楽を好むのも、あの時代のパフォーマーとオーディエンスにそれを感じるからだ。有名なダックウォークもそういう姿勢から生れたんだろうね。

 ゴムボールと追っかけっこをしたのは楽しい思い出だ。ある時、俺は、テーブルの下で弾んでいるボールをつかもうと躍起になっていた。家に客が来ている時に騒ぐと普段なら必ず怒られたものなのだが、この時は俺がボールを捕まえようとする仕ぐさが余程面白かったらしく、お袋が入っていた聖歌隊のメンバーが大笑いを始めた。テーブルの下にすっぽりと入って、首を上に突き上げ、膝を折った姿勢でボールを追いかけて前に進む。このしゃがみ込みスタイルはお客さんがくると、よく家族にリクエストされるようになり、俺自身もこの芸をするのが楽しみになった。
 一つの芸の誕生というわけだ。
(『チャック・ベリー(自伝)』P25〜P26)