2018年06月02日

陶器店こわれた指をあたために  加藤久子

陶器店こわれた指をあたために  加藤久子

『現代川柳の精鋭たち』(2000年 北宋社)より

省略された言葉を素直に補えば、「こわれた指をあたために陶器店(へ行く)」という意味の句だろう。
まずは「こわれた指」を抱えたなにものかが陶器店にきた、向かっている、と読めるが、「こわれた指」という言葉遣いに微かな違和感がある。「肩を壊す」や「肘を壊す」とは言うが、指という小さな関節にこわれるという動詞が使われているのは見たことがない。「こわれた指」という表現には、頭に置かれた「陶器店」のイメージが響いている。その連想で、陶器でできたなにかの「こわれた指」を思い浮かべることができるだろう。陶器製の人形の、あるいは動物の欠けた指。しかし、これはあくまでも可能性であり、結局のところ「こわれた指」とは何の、いかなる状態なのか定まらない。
その指を修復するのかといえば、そうではない。「あたため」るのだ。まるで「壊れたものは直さなければならない」という世の理から遊離しているかのように。「陶器店」で。壊れたものを温めてもどうにもならないだろうし、陶器が整列する陶器店はむしろ熱からは遠い。
私は、陶器のティーセットで紅茶を淹れ、温まったカップにおろおろと指を添える人を想像した。
想定される言葉からのずれが読み手をうつくしい行き止まりへと導く、静謐な句。
posted by 暮田真名 at 22:03| Comment(0) | 暮田真名・一句評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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